last song
夏が嫌いだった。
まとわりつく暑さとともに、救いを求め彷徨う者達が煩わしかった。
秋が嫌いだった。
実りに唄い、人々が莫迦騒ぎを繰り広げ、煩かった。
冬が好きだった。
凍える様な寒さに、人々が恐怖を抱き、万物全てが静まりかえるから。
春が大嫌いだった。
その冬の寒さを、全て癒し、溶かすから。
だから、今日のあの出来事に、とてつもなく腹が立つのだ。
「……つくづく忌々しい……」
舌打ち混じりに、そう呟けば、目の前の青年がこちらを振り向いた。
その手には、血まみれの…すでに肉塊となったモノがある。
「何が、ですか?」
「全部だ、全部。この世の始まりの理から全て、もう厭わしく思えてきた」
「…それは、また…」
青年は、やや呆れたかの様な声をだし、溜め息を吐く。
そしてまた黙々と、「事後処理」をしだした。
いつもの事だ。気に入らない事や者がいれば、後先考えず平気で殺す。つくりだしてしまった肉塊を、でも自分でどうにかしようとはしない。ヒトにまかせてしまう…。
この「現状」をつくりだした当の本人である長い黒髪の男は何もせず、ただ行儀悪く窓枠に腰掛けて、そんな青年を見つめている。
その黒髪の男の背後には、大きな満月が無言で存在していた。
赤みを帯びたその月は、この黒髪の男にぴったりだと、言葉にはせず青年は思う。
「シュラ」
「……はい、」
呼ばれ、青年──シュラは、月明かりを浴びる男を見た。
いくら否定しようとも、その男の顔は綺麗な月にはえる美しさを持っている。
整った面立ちが、やや歪んでも、更に妖艶さが引き立つだけ。
その唇から漏れる言葉がどんなに浅ましいモノであったとしても、声音は聞き惚れる程に美しい。
紅い、紅い瞳が…血の様に紅い瞳が、更に見る者を惹きつける。
「お前は、あの子供を見たコトがあるか?アレに似ているという子に」
「…ええ。でも、ただ瞳の色が似ているだけで、顔はさほど…」
「姿形が似ているだけならばまだ良い。最悪なのは、それがアレと同じなのかと云うコトだ」
「……は?…仰るコトがよくは、」
「───折角、完全に凍ったと思ったのに…」
あの日、あの蒼い眼をした青年の心は凍った。
凍って凍って、麻痺させた。
感情もないただの生きている器にさせた。たった一人の男の死によって、為し得た。
もう「器」は苦しむコトもなく、悲しんで壊れるコトもなくなるのだ。だから、これで良いのだとあの時、思った。その凍った心を、感情を、動かせる者など、あの時には何処にもいなく、だから安心したのに。
なのに───…アレは、何だ。
「…本当に、アレはしぶといな……しぶとい、そして、最悪だ」
「………`教皇`?」
「アレは、最期にオレに何と云ったと思う?」
眉間に皺をよせ、顔をしかめたシュラに対し、法衣をまとった黒髪の男は嗤った。
「『最期に、ちゃんと顔が見られて良かった』と笑ってオレに告げた」
その日もまた、本当に月の綺麗な日だったのを覚えている。
*
朝食を食べてすぐに、ロスは一人で何処かに行ってしまったらしい。
一人で何処かに行くのは珍しかった。
そして、昼食前にもなって帰ってこないというコトは本当に珍しかった。
────だから、サガ自らがロスのコトを探しに出たのだ。
「…本当に、オレらの教皇サマはどうしちまったんだろな」
「別に、良いじゃないか」
「ロス太郎からもらった花を、いつまでも花瓶に生けちゃってしてまぁ…」
二人の視線の先にあるのは、豪奢な花瓶にいけられた───花瓶とはいささか不釣り合いな小さな野花が大切にいけられてあった。
「───本当に、アイツに似ているな」
訊き馴染んだ──でも普段より冷たい声に、ロスは眼を丸くしながら顔をあげた。
そこには、法衣をまとった…黒髪の青年。仮面がなく、その瞳は、禍々しい程の紅。
顔立ちは瓜二つだと云うのに、纏う色、雰囲気が違うだけで、こんなにも印象は変わるものなのかとロスは思った。
この青年からは、畏怖と……そして虚空を感じた。
「…………サガ……?」
「そういう名もあるな」
「?違うの?……じゃあ、貴方は誰なの?」
「…さぁ、知らん」
吐き捨てる様に告げて、そして、紅い瞳の青年は、子供の細い首を両手でしめた。
手加減なく、力を込めて……嫌な音がぎりぎりと響く。
子供の顔が驚きと苦痛に染まる。
「丁度良い…此処で、死ね。此処は──あの莫迦が死んだ場所だ」
何年か前、あの場所で、同じ様な姿で、倒れていたのを
───サガは今でも鮮明に覚えている。
月が、とても綺麗な晩だった。
サガはその死を確かめる為に、傍に近寄ったのだ。
その時はすでに、紅い眼の意識が体を支配していた。
紅の意識の裏から、蒼の瞳のアレはその最期を見つめていた。
今にも息絶えそうな男は、サガの顔を見るとにこりと微笑んだ。
そして────…………。
今も、あの瞳の色が、自分を縛る。凍えさせる。
「………サ…、サガ……!」
「無駄だ。アイツは起きん。今、アイツは過去に囚われて、闇の中に身を潜めている」
子供の小さな手が、抗うが、どうにもならない。
最終的に、たよりない手が宙を彷徨っていた。
「オレはアレの全てが厭わしい。だから、アレの残り香を残すお前など、いらない」
「……………サガ……サ、」
「だから、アイツはもう…」
「何で、泣いているの…………?」
彷徨っていた手が、温もりをまだ宿す掌が──紅い瞳をもつ青年の頬にあてられた。
温もりが、伝わる。その頬に滑っていた雫の熱も全て。
サガである男の両目が、驚きに見開かれる。
手にこもる力が、途端弱まった。
「………どうして……何故っ…!」
片手を首から外し、サガは己の頭に手をそえた。
赤の意志とは関係なく、脳裏に過去の映像が駆けめぐる。
脳裏に駆けめぐったのは、子供の笑顔。
渡された…みすぼらしい花々。
そして───つながれた掌の温もりと、しずみゆく夕陽。
帰れる場所……
その瞬間、サガの瞳の色が赤から青へと転じ様と、した。
震える唇が、言葉を紡ぐ。
「……嫌だ……もう、お前の好きになんか、させ…」
「黙れ!お前は、黙ってろ!!」
「私は………もう、嫌なんだ………」
「オレの云うとおりにしていれば、お前はもう苦しまなくて良いんだ!」
「それでも…!」
子供の首をしめる力が時に強く、時に弱くなる。それを繰り返す。
その度に、同じ一つの口から、違う声質の言葉が飛び交う。
苦しげな儚げな声と、強く荒々しい声。
「この子だけは、あの時の様に殺させやしない」
「あの時、アレを殺す事を願ったのはお前ではないか」
「……………違う……」
「お前だよ。恐かったくせに、アレの事が、だから…」
意識が表にでたり、裏にいったり、一定しない。
まるでクルクルと回されているかの様に、その頼りない感覚をサガは厭うた。
───どちらが正しいのだろう、サガは思った。
───何故、一つになれないのだろうと、サガは思った。
───どうして、二つの意識が一つの体に詰まってしまったんだろう、サガは思った。
───善を愛す心と、悪を好む心…正反対の、苦しみを、何故、自分達は。
今、一体、どちらがそう思ったのかでさえ、もう判らない。
与えられたサガという名は、一体、誰のものなのか。
一体─……自分の意志一つ通す事もままならない自分は…。
…私は…今、一体……どちらなのか。
───君は……だろ
…声が……する。
よく聞こえなくて────もっと、ちゃんと聴きたくて、
サガは眼を開けた。
───……だって、さ…
視界に広がったのは、蒼と紅の混沌。
でもその先に、見えるのは───……いつかにも見た夕陽。
夕焼け色にされた帰り道。
横には手をつないでくる少年、とその笑顔。
指先から伝わるのは、温もり……。
───今、オレの温もりを感じているのは、君だろ?
(……ア…イオロス………)
サガは眼を見開いた。
そして、ちゃんと今の現実を見た。
首をしめられ、色をうしなっていく子供の、その顔。
「───っ、やめろ!!」
強く声を放てば、途端、体の自由が思い通りになる。
手首にかかる指が外れた。
安心すれば、でもまたすぐに体に違和感がでてくる。
わきあがってくる紅の意識。
「コイツは、此処で殺しておけ…その方がお前自身にとって良いのが判らないのか?」
同じ口から、でも違う意思の言葉が漏れる。
その声とともに、手首がまた子供の首にのびた。
自分はソレを必死に留める。
「違う!違うんだ……!」
「何が」
「………私は、忘れていた………大事なコトを…」
そう云って…そして、小さな体をした子供を抱きしめた。
「私は…もう、何も……喪いたくないんだ……守りたい…今度こそ」
なのに、何で、あんな抜け殻の様な生活を送っていたのだろう。
この紅の存在に抗いもせず、身を譲り渡していたのだろう。
それではまた、同じ結果が訪れるだけではないか。
「……………私は、もうお前の言いなりになんかならない…、お前の好きな様になんか絶対にさせてやるものか……」
「できるのか、お前に?」
「やるんだ、私が…」
震えた睫毛から現れ出でた瞳は、蒼。
真っ直ぐとした色をした…空色の瞳。
「……もう、何も喪いたくはないんだ…」
何故、全てから逃げ出してしまったんだろう。
今になって、思った。
逃げ出さない。
逃げ出しはしない。
───もう二度と、この掌の温もりを忘れようとはしないから。
だから。
「ロス」
「サガ…」
その瞬間、子供は、腕の中で霧散した。
まるで、あぶくの様に。
温かな光を放って、腕の中から消え失せたのだ。
「───ロス……?」
何が起こったのか判らなくて、顔をあげて、空を見た。
そして───知る。
届かぬ天から、今、真白の雪が舞い落ちてきた事を。
碧の眼をした子供とは、それ以来会う事はなかった。
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