last song






───殺そうと…そう思っていたのだ。



「残念だな。綺麗な月なのに、雲に隠れてしまって、」
「……アイオロス…」


その夜は、とても月が綺麗な夜だった。
綺麗な光を煌々と放つ月を見る為に、サガは窓辺からずっと空を見上げていたのだが、闇の中からこの少年が現れると同時に、まるで計ったかの様に雲にその月は隠れてしまう。


「こんな夜更けに何の用だ」
「…別に、月が綺麗だったから」


云うとともに、少年が微笑む気配が判る。
きっと月の光があれば、あの見慣れた笑顔を見るコトとなっていただろう。
───月が、雲に隠れて良かったと、そう思った。

(だから、きっと、苦しげにゆがむ自分の顔も見られるコトはないから)

彼とは、次期教皇を任命された日より会ってはいなかった。
会おうとはしていなかった。


「……今日、綺麗な花畑を見つけたんだ…。澄み切った青空の下にひろがる大輪の花が咲く…誰も知らない庭を。……蒼い…蒼い、綺麗な花弁だった」


月明かりがなければ、相手が今どんな表情をしているかだなんてよくは判りやしないというのに、何故か彼と今、目が合っている様なきがした。そして、またふっと柔らかく笑って…。


「───サガの瞳の色に似ていたんだ」


カタカタと音をたてて、窓枠を掴んでいる手は気付かれていないだろうか。
今にも全ての激情を彼にぶつけたがろうとしているこの不安定な小宇宙は気付かれてはいないだろうか。

彼は、ただ、いつもの様に、穏やかに言葉を紡いでいる。


「何が、云いたい…」


今にもこの喉は焼き切れてしまいそうだった。
しぼりだした声は、やけに嗄れている。


「……………今度、いや明日にでも、一緒に見に行かないか?」


……もし、その声がいつも通りのただ穏やかさだけをもった声音なら、きっと、拒めたのだ。
なのに、その声音は、予期していたモノとは違った。
…寂しそうな、悲しそうな声音。


「サガにも、見せたいんだ」


でも、どこか、優しい…優しい声で。
そんな声音じゃ、なかったら…。


「明日、見に行く?」
「…………判った、明日な…」
「じゃあ、必ず…約束だからな」


ほら、また笑う気配。
いつもの様に笑う彼に、内心ほっとする。

今だけは、彼のその笑顔を見たかったと思った。
何故だか、そう思ったのだ。


「……アイオロス…」
「…本当に残念だ」
「え、」


「最後に一目、ちゃんと顔が見ておきたかったのに」


月が雲に隠れなければ、見られたのにな。

驚いたサガが彼に何かを云う前に──その前に、彼は風の様に駆け出して…そして、ようやく月明かりが漏れ始めた頃には、何処にも彼の姿はみえなかった。


(……莫迦な…アイツは気付いていたとでもいうのか…?)


もう、自分達に「明日」が、来ないというコトを───。


「…いや、そんなはずがない…。判っているなら、……私を、殺すはずだ…」


だから、そうじゃない。
きっと、そんなわけじゃない。
何度も何度も自分に言い聞かす様に告げ、そして両の手の指をきつくきつく絡み合わせた。
この震えが止まる様に、きつく。

早く、夜が明けてしまえば良いのに───……。
そうすれば、もうこの取り留めもない不安から逃れられるというのに。






───殺そうと…そう思っていたのだ。





「何をしてるの?」

聞こえてきた知らない者の声によって、ずっと俯き長い髪に隠していた顔をあげる。さらさらと肩から背にへと長い髪の房が音をたてながら落ちていった。光のない鬱ろんだ瞳が、声のした方へと向けられる。顔をあげた時、肩にかかる無数の金と銀の豪奢な首飾りが重たげな音をたてた。
先程まで自分を捕らえて放さなかった夢は、ようやく何処かに霧散していく…。

うずくまっていた自分の目の前にいつのまにか、五歳程の子供が立ってこちらを不思議そうに見ていた。

「何をしているの?」

また、問われる。
大きく無邪気そうな目が、こちらをただ見やる。自分はその瞳を言葉なく見返すコトしかできなかった。


───殺そうと、思ったのだった。


こんな処で…「仮面」をつけていない自分の姿を見られたとあっては…たとえどんなに幼い者であったも殺そうと……顔をあげる前まではそう思っていた。
そう思っていたはずだったのに。

(ああ…きっと、この場所だから駄目だったのだろうか)

「……泣いてたの…?」

知らない。
涙なんてそんなモノ、もうしらない。
麻痺してしまった感覚ではもう今自分がどんな顔をしているのかも判らない。
ただ、先程までずっと胸に抱いていた硬く冷たい丸い「毬」が温かくなっているコトだけは判った。

「…それ、何?」

子供の問いに、自嘲気味に口の端をゆがめて笑い、応える。
とともに、頬に何かがつたっていくのを感じた。
もう、何のために、何の感情から流していた涙なのか、判るコトもない。
その元凶たる男が、もうこの世に存在しないからだ。
……判らないから、だから、此処でこうして、男の死んだ場所にいたのだ…きっと。

「…………莫迦な男の、首だ」

子供は、その綺麗な色の碧眼をぱちくりさせ、不思議そうな顔で自分を見ていた。
────彼と同じ色の瞳だった。
それだけ、だったのだ。


その日は、雪が降りそうなぐらいに、寒い日だった。
まるで、あの日かの様に。
指先も、体も、心も…記憶も、何もかも凍えていくかの様に。

彼が死んでから、数年後のコトだった。


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