────どうぞ、貴方に やすらかなる夢路を。
スカイ ハイ
「アイオロス!」
いつもより少し低めな声に呼ばれ
絶対今度こそは見つからないと自負していた場所にいたモノだから
驚いて思わず木の枝から落ちてしまった。
「…ってえ…」
「自業自得だ。またサボって…」
顔をあげれば其処には、見慣れた綺麗な顔がある。
その眉がややつり上がっているのは気のせいじゃないだろう。
「………何でいつもバレるのかなあ」
情けなくそう呟けば、
お前の隠れる場所を捜すコトなどすでに馴れてしまったとのコト。
「面倒かけてます…?」
「無論」
つんと云いのけた幼馴染みは、でもすぐにふっと微笑んだ。
優しい笑みのまま少年が差し伸べてくれた手によって
自分は起きあがる。
冷たい手が、心地よかった。
普段よく見せるソレではなく
ふっと一瞬だけみせる素の笑顔が好きだと心の底から思う。
笑顔の中の、柔らかい光を抱くその青い双眸も、好きだった。
青い青いその色の深さにいつもいつも魅せられる。
深くて、澄んでいて、森の奥でひっそり眠る水面の様な光。
時折不安定に揺れながらも、煌めきを失わないソレが。
「…?どうした、私の顔に何かついているのか?」
「────……いや、」
何か上手い逃げ道はないものかと、思わず空を見上げてしまう。
そして───…心底思った。
「何故、空は青いんだろうなあって」
どうして、いつも自分の目をどうしょうもなく
惹かせる目の色を彼はしているのか。
そう思ったのだ。
彼は不思議そうに首を傾げただけだけれど。
空は何も知らずに、その色をありのまま漂わせている。
遙か彼方まであるその空のただ中を、一羽の鳥が飛びすさっていった。
***
その瞬間までは、全てを怨み憎んでいたハズだった。
全てを壊そうと……そうして自分の生を終わらそうと…
そう思っていたハズだったのだ………。
───弟という存在を自らから取り除いてしまえば
後に残ったのはもう自制のきかない狂気だけだった。
だから、大切にしていた小鳥の首を簡単にへし折るコトもできた。
呆気ない命の幕引きだったのを、今もよく覚えている。
自分もこんなに呆気ないちっぽけな命なのだと感じた。
そんな折りに、小宇宙の異変を感じたのだろう、……彼が来た。
「……どうして……」
「クチバシを使って…勝手に檻から逃げ出そうとしていて
……私から逃げるのならば、と思った……」
「…………どうして…」
質問には答えたのに、彼はまだ問うてきた。
どうしてだか、彼は苦しげな顔をして。
そんな彼の顔を見たのは、初めてだった。
「私を必要としない…者などいらない。
いらない。だから、殺したんだ。
それだけだ、それだけなんだ。
……それだけでしかないっ!」
言い切った瞬間、感情が高まったのか
制御できずに放たれた力によって、彼の体が壁に打ち付けられた。
「壊してやる!全てを…私を認めない全てをっ!
いらないんだ、もうどうにでもなってしまばいい!」
その言葉に、彼がキッと顔をあげようやく叫んだ。
「───っ!お前は女神の聖闘士だろうっ!!」
「それが何だ!それが私の望みか?!
お前らとは違い私は金と交換に此処に来たのだっ!
何にも知らないくせに!そうだ、お前は何にも判ってない!」
判ってないから、いつもそんなに真っ直ぐと生きていられるのだ。
喉まで出かかった言葉を、寸でで飲み込む。
代わりに睨みつけた。
憎悪の丈の全てをそそいで人を睨んだのは初めてだった。
「人に何度も裏切られた!肉親にでさえも!
もう私には誰もいない!そして、誰も私を認めはしない!」
「それは、ちが…」
「お前などに何が判るか!愛される宿命にあるお前にっ!
居場所があるお前などにっっ!!!
私の欲しいモノ全てを手にしたお前にっ!!」
その瞬間、殴られた。
練習試合の時よりも、それは強かった。
よろめくが、すぐに殴り返す。
「…やめろ…それ以上口に出して云ってしまえば…
オレは聖闘士としてお前を……止めてくれ!」
彼のそんな苦しげな声を聴いた気もしたが、
よく判らなかった。
もう……正直どうでもよくなってしまっていたのだ。
「こんな欲望だらけの汚い世界なんて壊れてしまえ!」
感情に流されるまま全てを云いきって、
そうして、そのまま住み慣れた宮を飛び出した。
彼がどんな顔をして自分を見ているのか、
振り返るコトもなく。
見てしまえば、奮い起こした全ての感情が消えてしまいそうだった。
***
「……壊そうと、思ったんだ……」
眠りから覚めた彼は、そう呟いた。
この部屋にいるのは自分だけだが、きっと自分だから云うのではないのだろう。
誰でも良かったのだ。
いや、別に誰もいなくても良かったのかもしれない。
ただ彼は思いを声にだしたかっただけなのだろう。
喉を痛めてしまった為、かすれた声がゆっくりと言葉を紡いでいく。
「私に取り巻く全てを…私という存在が在るこの世界を。壊そうと…私を苛むコトしかできないのなら、いらないと……。あの日…そう思っていた。何度裏切られても、それでも此処まで来た私を…最後の最後に最大の裏切りを用意してくれた世界など……憎んでも憎んでもたらなかった」
十三年前、彼がそんなコトを思っていたなど、自分は全く判っていなかった。
時折、笑顔の中に悲しみが見えていたのは知ってはいたが。
どうしてあんなコトになったのか、
神のような男とまで云われていた彼の心はどう揺れ動いていたのか。
何も、知るコトはない。
「ああ……そう憎んでいたんだ。そうだ…私はそんな出来た男じゃない。だから、すぐにあてつけの様に、憎んだんだ。全てを」
そうして彼は顔を包帯のまかれた手で覆った。そこからくぐもった声を、出す。
「───なのに…アイツが邪魔したんだ……」
くぐもって、くぐもって、うめいた様な声で。
でもその一言に、全ての激情が押し込められているのだ、きっと。
彼の想いの全ては、そのたった一言に凝縮されている。
「……今からでも遅くはないでしょう?」
「もう、遅い。お前は、判っていない」
「何をですか?」
「アイツは、奪っていったんだ。そして、奪った代わりに違うモノを御丁寧に残しまでして……」
そう、奪ってしまったんだ。
呟いて、彼はようやく顔を覆っていた手を放す。
その真っ直ぐな眼差しは、天幕を睨んで────でもきっとその目に今映っているのは、ソレではないのだろう。
「……憎む心を…アイツは奪ってしまったんだ……」
アイツはとんでもない男だ。
***
……あの瞬間までは…
きっと…あの瞬間までは、出来るハズだったのだ。
聖域に完全に反逆した彼を…自分は聖闘士として……
────殺すコトを…。
出来るハズだったのだ。
そう決意して、教皇のもとへ行ったのだった。
…………なのに…彼は───…
***
「教皇」の正体を知ってしまった彼を見つけたのは
聖域のはずれの森の中でだった。
何処をどう追っ手から逃れてこんな処にまで来たのか
判らなかったが、でもそんな彼の顔は
やけに穏やかだった。
草原の中、仰向けに寝転がり
明けてゆく暁の空を見ていた。
彼の体が血まみれでなければ
きっといつもと変わらぬ景色の一部であっただろう。
「……悔しいか…アイオロス…」
気付いたら、そう呟いていた。
「聖闘士としての勤めを果たすコトもできず
かつての栄光を剥ぎ取られ、汚名を着せられて…
そうして誰にも看取られぬまま死んでいくコトを」
「……君が此処に来てくれたじゃないか…」
そう云う彼の顔は何故か笑っていた。
なにが面白いのだろうか。
「──馬鹿なコトを……。
死んでいくクセに…。所詮お前も死ぬクセに。
勝手に死んで…
もう私の手の届かない処に行ってしまうクセに。
私を裏切ったクセに!!!」
もう自分で何を口走っているのか…判っていなかった。
死にかけているというのに、やけに穏やかな彼に
…多分いらついていたのだ。
まるでこちらのが敗者の様だった。
「何もできないまま死ねばいい!
そうして私は世界を壊す!終わらす!
私を厭う全てを、壊す!!」
その瞬間───血まみれの腕に抱きしめられた。
何が起こったのか、判らなかった。
ただ、彼の肩越しに見える空の青だけを確かに見た。
「もう良い…判った。判ったよ。降参だ」
彼は唐突にそう云ってきたのだ。
云って、また笑うのだ。
「きっと、全ては仕組まれていたんだ
…女神は、残酷だな」
その後に告げられた言葉を…今もずっと確かに覚えている。
それほど、鮮烈な印象を与えてくれた言葉だった。
彼が頬に触れてくるまで
泣いていた事に気づけなかった。
「一緒に、逃げようか?…」
彼の声が、今も鼓膜にこびりついて離れていない。
あの晴れやかなる空の色も、
風の心地よさも、空気の匂いも、
全部…もう記憶の彼方で
色褪せているというのに。
────彼は、あの日確かにそう云ったのだ。
でもその約束は叶えられるコトもないままに…
……彼は一人で何処か遠くに行ってしまう。
(私を一人、此処に取り残して……)
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