────どうぞ、貴方に やすらかなる夢路を。


スカイ


夢が覚めると同時に、窓の外の景色が目に入ってきた。
だから、だった。
青い青い空色の画布の中に白いソレを見たから、だから…。
窓を開け放ち、其処から飛び降りたのだ。

足が傷つくコトなどもうどうでも良かった。
傷つくならば傷つけば良い。
もう構わなかった。
途中で無駄に重い首飾りを外して、そこらに捨てた。
いちいち木のささくれに捕まる長すぎる服の裾など面倒なので破った。
───駆けていた。
大地を、懸命に…幼子の様に駆けていた。
視線の先にある「鳥」を追いかけて…。
走っていた、鳥を掴む為だけに、全てを捨てて走っていた。
動きの枷になる包帯等、一番最初にとっていた。
ただ、白い羽根をもつ鳥を追う為だけに。
鳥は悠々と青い空のただ中を行く。

…いつかにも、鳥を追いかけていた時期があった。
それは、あの穏やかな光が側にあった頃に。
「サガ、鳥だ」
「それが何だ」
「───追いかけようよ」
もう遠すぎる日々のコトであった。
手など届き様もない…。

「…っ、オイ!待てって云ってんだろっ、教皇!」

苛立たしげな声が聞こえたかと思うと突然、腕を掴まれた。
強く引っ張られ、バランスを崩し、そのまま地面に腰を打ち付ける。
気付けば森を抜け、数メートル先には崖がある場所にまで来ていた。寸でで腕をつかまえたのは、デスマスクだった。
それでも、視線は、空を───鳥の行方を追う。

「離せ、鳥が…行ってしまう!追わなければ!行かねばらなぬのだ」
「ざけんなっ!その先は崖だぞ!教皇!!」
「私は教皇ではない!!」
「あ?!」
「離せ!」
「離せるわけねぇだろ、この阿呆!」

鳥は、すでに青い空の彼方に消えていった。
もう追えない先へと…。
まるで…誰かの様で……気付けば、頬に一筋の涙がこぼれた。

「……どうして……」
「…サガ───」

名を呼ばれた、だから顔をあげた。
そこにはいつかの誰かの様に苦しげな顔をした男が立っている。
そう…あの男は、笑いながらも苦しげにしていたのだ…。
何を迷っていたというのだ…迷うコトなど一つもなかったというのに。

「……殺せば良かったんだ…お前が終わらせてくれれば、それで良かったんだ……なのに………」

教皇にも認められた存在として、聖域を救う英雄として……殺せば良かったのだ。
─────私は、殺されるコトを望んでいたのだから。

「…………サガ…お前…」

それが自身に向けられているコトではないとデスマスクは判っているのだろう。だから、余計にどうしょうもできなくて顔が曇っていくのだ。

「連れてかなくとも別に良かったんだ!一緒にいく必要はなかった!ただ、私を此処じゃない何処かへと追い出せば、それでお前には何の問題もなかったハズなんだ!!それを…っ!!」

……お前一人が、勝手に死んで…どうするんだ……。

鳥はもう見えない。
ただ美しい空の色が、朱に染まっていくだけだった。
その中で、罪人は泣いた。空に向かって、声なき声で…泣いた。
泣いて…泣いて……ただ、もう過ぎてしまった出来事を悔やんだ。





***



聖闘士として認めてはいけなかったのだ。
それは女神を裏切る行為なのだと判っていた。
────それでもあの瞬間、もう良いと思った。
反逆者となっても、もう良いと…
諦めたワケじゃない、捨てたワケでもない。
ただ……もうその想いがどうしょもうなく
自分の中で在った…だからだった。

彼が叫んだ。初めて。
己の中の苦しみを全て、何も飾るコトもなく、
有りの侭を口にし、素をみせた…笑顔に隠されていた全てを。
押しつぶされていた全ての激情を…
自分に、自分一人に全て叩き付けたのだ。
聖闘士としてあるまじき禍言を吐いて。
それでもあの瞳の色は変わらぬままだった。
美しい空の色は、あのまま自分を射抜いていた。
そう…それは女神である赤子を殺す瞬間でさえ、そのままで。
オレを惹きつけてやまない瞳に、
自分でやるくせに……涙を溜めて…。
オレの姿を見た時、彼は……笑ったのだ。
嬉しそうに…。
その笑顔は、今まで見たコトのない類の笑み。
憂いの一つもない澄んだ笑み。
彼は云った。
唇だけ動かして、嬉しそうに…。
これで救われるとでも思っているのかの様に…。

<…さぁ、女神を殺そうとした私を、殺せ>

その瞬間知った。
彼が何を、真に望んでいたのか。
───それは終わりだった。
自分の生の終わりを彼は望んでいたのだ。
この地上から解放されるコトを…
その願いをオレに託していたのだ。
オレなら殺してくれるだろうとでも思ったのか。
笑顔は今まで見た中で一番幸せそうに…。
殺す──べきだったのだ。
それこそが彼の望みなのだから。
女神の聖闘士なら、殺すべきだったのだ。
そうすべきであったのだ……なのに…そのはずなのに…。
あの瞬間…それを、自分はためらったのだ。
そうして、オレは…反逆者の汚名を得た。
それは確かに正しかったのだ。
オレは…女神の意思に反したのだから。
殺せなかった…何故だか判らないが、できなかった。
此処でオレが止めなければ、更なる悲劇の連鎖を
生むと判っていながらも……できなかった。
深い後悔の念にかられながらも、決してもう振り返るコトなどない。
重たい足取りで、女神を抱え、
彼の元から離れるコトしかできなかった。

美しい暁の空の下、その下で自分達はまた出逢う…。
冴えた朝靄に包まれた中で見る彼は、どうしょうもなく綺麗だった。
…どんなに狂おうとも、綺麗なのだ。
どんなに変化を成そうとも、その魂の在り方は変わっていないのだ。
出逢った頃から変わらない、惹かれてやまないヒトのままなのだ。
苦しんで苦しんで、目前の光ばかりを血眼になってまで得ようとする…
強いくせに……でもそこなしに不安定な…そんな…。
彼は、告げた。
いつかの様に、己の中のモノを吐き出してくる。
でも目だけは、何度も殺せ殺せと訴えていた。
早く終わりにしろ、と嘆いていた。
泣いている事に、多分気付いていないのだろう……。
───共に……在りたいと……
彼をずっと、見ていたいと…───心底思った。
彼の笑顔を見たい。
あの狂いきった後の晴れ晴れしい笑みではなく……
彼の心の底からの…きっと綺麗な笑みを…。
見たい。見たいのだ。
そう強く、何よりも強く思ったのだ。
他の全てを捨ててでも…。
失いがたい願いが、あってしまったのだ。
─────もう…多分……きっと殺せはしない…。

一瞬、何処か遠くに行きたくなった。
誰もいない…二人だけの世界。
しがらみのない世界で、苦しむコトもなく、
彼が笑っていられるような……。
そこには、きっと今頭上にある様な美しい空があるのだろう。

それは、一瞬だけ見た夢でしかなかったが。




***



どうして、あの瞬間、全てを終わらせてくれなかったのだろう。
あの瞬間、全てが消え去れば。
きっと、今は誰も苦しむコトなどなかったのだ。
自分ただ一人だけが消えてしまえば…。

地上を憎む心など、すぐに涙にかききえた。
彼の命が消え去った時に、共に滅んだ。
唯一自分の願いを叶えてくれそうな、優しい英雄が…いなくなった瞬間。
あふれてきた感情は今までのモノと全く異なっていた。
悲しみだった。
空虚だった。
───そして、愛おしいという感情だった。

……君が本当に…名もない何処かへと連れ去ってくれれば…
この手をひいて。
二人で、何処か遠くへ。
逃げ去れれば、どんなに良かったコトか。
生きてみたいと心底思った。もう一度、やり直したいと。
彼が導いてくれるのなら……。

どうして、彼は此処に在る事を選んだのか。
もっと遠くへ…一人で逃げれば良かったのに。



「一緒に、逃げてしまおうか、サガ?」
「………アイオロス……」
「逃げて、……サガが泣かない世界に行ってみたいよ……」
「アイオロス……」
「どうする、サガ」

肯こうとした、でも、なのに。
彼が先に首を横にふった。

「きっと、無理だ…」

何がどうして無理なのか彼は云わなかった。
判らなくて、彼の笑顔をのぞきみた。
優しい笑み、だった。

「じゃあ、空が何故青いのか判ったら…
────共に行こう…」

………でもそんな彼はそのまま死んだのだ。
腕の中で…その心臓が止まるのをサガは直に感じた。
東の空から昇る陽の光を受けながら
………彼は死んだ。



空が青かった。
そして、手が伸ばせない程に遠かった。
深みを増した空の色を見れば、胸がとてつもなく苦しくなった。
吸い込まれてしまいそうな程の青に、泣きたくなった。
───そうして、気付けば仮面を外していた。

あのつかむコトのできない風の様な少年は、今は何処で眠っているのだろうか。
…沈みゆく陽の光が眩しすぎて、涙が流れた。



end.