「これは、棘」

そう云いながら、美しい少女はその薔薇の指輪を少年の掌の中に落とした。

「貴方が…その誇り高きこころを失わず、それでも真に望むのならば、」

世界の扉が、開かれるでしょう。

悲しそうな瞳をしながら少女は、少年の夢の中でいつもそう微笑んでいた。


***


アイオロスがそれを見つけたのは偶然だった。


「…それが納得いく説明になっていると思うわけ、兄さんは」
「……いや、だって事実だから仕方がないだろ?」
「昔っから思ってたけどさ、兄さんはおかしい!ありえないだろ!決闘に勝ったから、はい、貴方に花嫁譲りますって何だよそれは!!唯一、兄さんの取り柄だった運動能力が悪い方面で活躍しちゃったのかよ!」
「本当に花嫁にするつもり…ないよ。まだ此処の家賃はらってないし…」
「もう莫迦!阿呆!此処に本当に連れてきただけでもう俺はあんたを兄と認めたくない!」

弟が何故そこまで憤っているのか全くもって判ってない兄アイオロスは、返す言葉も見つからないまま、すぐ横でちょこんと姿勢良く座っている金糸の髪の人に視線をやった。
男ふたりのむさ苦しいだけだった部屋には少々刺激的な短いスカートからのぞく白いふともも。すらっとした肢体を包む清らかな制服。桜色のふっくらとした唇&駄目だしできるような点が一切見あたらない完璧に整った面立ち。そこに浮かぶ儚げな表情。それでいながら真っ直ぐとした空色の双眸と、つややかな金糸の髪。何から何まで場違いだった。

「………確かに、君を突然此処に連れてくるのは間違いだな。今日はひとまず家まで送るよ。君は女子寮の子?それとも自宅通いかな?」
「私は、アイオロスとエンゲージした薔薇の花嫁なのだから、アイオロスの望むように」

さらりとそんな言葉をその淡い色の唇にのせた「花嫁」は、これまた極上の笑みをみせた。免疫のないアイオリアがその余波をくらっただけで、全身硬直させたぐらいである。真っ正面からそれを(それもめいっぱいのオーラで)受け取ってしまったアイオロスはたまらないものがあった。

(薔薇の園で出逢ったのは「花嫁」というより、妖艶な「魔女」だ…)

アイオロスは自身の薬指にある薔薇の指輪を思い出しながら、そう心の底から思った。





アイオロスが「薔薇の花嫁」と出逢ったは、学園の中庭であった。まだ転校してきたばかりで不慣れなアイオロスが迷って辿り着いた場所は、見事なまでに赤薔薇で覆い尽くされた庭園。どこか日常と分離されてしまったかのような、非現実なまでに美しい世界だった。むせかえる程花ひらく薔薇を呆気にとられてみていると、赤薔薇以外の色にであった。蒼い蒼い、天上の色の、瞳。
───それが、「薔薇の花嫁」であった。

『…………』

しかし、はっきりと眼があったというのに花嫁は一切表情をかえなかった。アイオロスが何となく声をかけてみても無反応。ただただ赤薔薇の匂いだけが濃くばるばかり。
先に立ち去ろうとしたのは、アイオロスだった。薔薇の園から拒まれているようなそんな気分になったからだ。去ろうとした、背をむけた。数歩、進んだ。その、後。

怒鳴る声と、空気の震えと、そして、軽い何かが倒れる音。

思わず振り向いた先では、先程の花嫁が薔薇の中に沈みこみ、その傍で肩を震わせて怒る一人の少年がいた。

「勝手に出歩くなとあれほど云っただろう!」
「……でも、薔薇の世話は私の役目だから…」
「俺の『花嫁』だろう!エンゲージした俺の云う事だけをきいていればいいんだ!口答えするな!!」

少年が再び腕をふりあげるのを、アイオロスは見てしまった。
見てしまったのだ。
彼という人物は、だから、…そうするしかなかったのだ。

「 やめろ…! 」

激しい叱責ではなく、抱くように優しく柔らかであたたかなぬくもりに花嫁が触れた瞬間。ようやくアイオロスに気付いたかのように、その蒼い瞳を驚くように見開いた。しかし、背で花嫁を庇っていたアイオロスが、それに気付く事はなかった。そして、少年もまたその変化に気付かなかった。

「…誰だ、あんた……これは俺と『花嫁』の問題だぞ」
「よく判らないが、二度も叩く必要はないだろう。薔薇の世話ぐらいさせてあげればいい。この子が可哀想だ」
「ハ、可哀想?薔薇の花嫁に感情などあるものか!こいつはな…、」

言葉は不自然に途切れた。少年の視線の先がある一点に集中していたのだ。アイオロスが不審に思ってその視線の先をたどる。 それは、アイオロスが肌身離さずはめていた薔薇の刻印の指輪。

「なるほど……あんたも『革命の力』を欲する決闘者って事だな。いいだろう、今ここでその挑戦をうけてやる。サガ!」
「わかってる」

アイオロスの傍からあっさり離れたサガと呼ばれた「花嫁」は、自身を殴った少年の傍へと戻っていく。そして。

「…私の中に眠る小宇宙よ……、今こそ力を示せ」

その胸から、ひかりかがやく剣をひきぬいた。

もちろん、何がなんだか判らなかったアイオロスだが、挑まれた勝負には全力でたちむかうことしかできない質である。近くにあった竹箒を武器にして、決闘する事になった。マジックにしか思えない手段ででてきた剣は、まさしく本当の切れ味であったのだが、それでもひるむ事はないのがアイオロスだ。

剣と竹箒での最初から勝敗が決まっているであろう決闘の最中、その頭上ではひっそりと静かに天をわり雲をぬけ、逆さで浮かぶましろの神殿が姿を現していた。決闘の行方を見定めるかのように。
事のはじまりであった「薔薇の花嫁」はというと、まるで他人事のように無関心な様で世界をみていた。


さかさまの神殿が見定める決闘での勝者は、「薔薇の花嫁」とエンゲージできる。薔薇の刻印の指輪をもつ人間にのみ決闘の条件は与えられている。
薔薇の花嫁とエンゲージした者は、薔薇の花嫁の所有者であり、───やがて、さかさまの神殿の中で眠る「世界を革命する力」に辿り着く。


半分以下の長さになった竹箒で、勝利を得たアイオロスにももちろん、それは与えられたのである。


今まで無関心だったのが嘘かのように、薔薇の花嫁がにっこりと勝者に微笑んだ。 顔面蒼白である敗者の少年にも微笑みを。

「ま、待ってくれ…サガ……俺達の絆は…」
「ご機嫌よう」

ルールを全く知らないアイオロスは戸惑うばかりで一切状況は判っていない。説明などないまま、それでも物語はゆっくりと転がり始めるのである。たとえば、永遠に静かであるはずだった水面に突然投げ入れられた小石のように。運命をどこで、誰が間違えたのか、知る者は此処にはおらず。

「私は、サガ。貴方と永遠を誓う薔薇の花嫁」
「あ、……えっと…………俺は……アイオロス、です…」

「ずっと前から、知っている」

薔薇の花嫁は笑顔のまま、告げた。





まだ学生の身でありながら、永遠を誓わされた。
何がなんだか判らなかったので、とりあえず、いつだって真面目に生きている実の弟にどうにかしてもらおうと家に連れ帰ったわけであるのだが、その弟に散々いわれてさすがのアイオロスもげんなりした。
当のサガは素知らぬ顔である。ただ、エンゲージした者のお世話をする事も花嫁の仕事に入っているらしく、今は甲斐甲斐しくお茶をいれている(俺達の家でだが)。

金糸の髪はやはり何処でみても美しく、アイオロスは思考を放棄して、その金糸の軌跡をぼんやり追っていた。こんな綺麗な人が、花嫁なのは悪くないかもしれない。思考に疲れた頭は、楽な道に逃げ始めていた。

「なあ、世界を革命しなかったらどうなるんだ?」
「卵の殻を破らなければ、ひな鳥は生まれずに死んでゆく。世界の革命を望まなければ、ずっと棺の中にいるようなもの」
「棺…ねえ?」

しかし、この国は火葬で、骨壺である。イメージは漠然としすぎて、何だか眠くなってきた。うつらうつらとしている視界の隅で、金糸の光が動く。近づくのは、なじみのない気配。
その美しい髪の一房が、頬におちてきたのは気のせいだろうか。頭はもうほとんど夢の中に入り込んでいて、指すら追えないから確信がもてなかった。ただ、薔薇の匂いだけが濃く香る。

「棺の中には、王子様が。棺を守るのは、薔薇が。お姫様は永遠の果て」

そして、私は、王子様を殺した魔女。


(天上の色をした瞳の持ち主は、やはり人を惑わす「魔女」だったらしい)

そうして、運命の一日が終わった。



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