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出逢った日の事を今でも鮮明に思い出せる。 空の青さも。風の心地よさも。あの頃の世界がどれだけ穏やかに形成されていたか…、君はきっと覚えていないだろうけど。 触れるのを一瞬ためらう程、触れがたい何かを君から感じた。 綺麗だとか神聖だとか周りはいろいろ云っていたけどそうじゃなくて。 何かもっと違う…眩しいものを感じた。 ぎこちなく微笑み返してくれた君は、未だ記憶の中で鮮やかに存在している。 ─────今はもう戻れない、女神に愛された優しい世界での話。 *** 何が足りないのだろう。青年はそう思った。 何から間違ってしまったのだろう。あの頃の青年はそう思っていた。 いつも。いつも。そうやって、悔やむばかり。 結局、何度繰り返したって未来は変わらないのだと云わんばかりに。 確かに手を握っていたはずなのに、いつのまにか離ればなれ。 交わる運命などないのだと、…思い知らされる。 空と花にだけ愛された世界にサジタリアスが戻れば、塔から侍女に扮した妖精が駆けてくる。何事か伝えようとするのを手で制した。 云われなくとも、判っている。 翡翠の瞳はすぐに花畑に仰向けで倒れている麗人を見つけた。 「少しでも眼を離したらすぐこれだ。本当に危なっかしくて眼が離せやしない」 美しい金の髪はちとせに散らばり、花を彩る。白磁のような肌もまた鮮やかな赤に似合う。まとう裾の長い白の服は、いつのまにか真っ赤に染まっていた。その赤でさえ、深く鮮やかで美しい。血の一滴まで綺麗だなんて、彼らしくて笑えてしまう。 まるで、一枚の名画かのような絵になるその姿。花に囲まれ眠るだなんて、本当にらしすぎた。美しすぎる死。 「君を此処で初めて見つけた時も、そうだったけど…」 小さく呟いて跪き、ぐったりした緋色の体を抱き上げた。不浄を厭うこの世界によって「死」は亡きものにされ、しばらくしたら彼はまた目覚めるだろう。いつもの事だった。 「…サジタリアス様」 「ん?」 「こう何度も命を断たれてしまっては、いつか本当に消滅してしまいます。死は肉体だけでなく魂をも消費する行為ですわ。この御方は、もう…」 「判っているさ」 未だ何か告げようとする侍女に背をむけ、青年は麗人を抱えたまま塔の中へと入っていった。螺旋状につづく石段。ヒトの運命は螺旋なのだと誰が云っていたのだろう。 くるくる、くるくる、繰り返す螺旋の軌跡。 今度こそ、大丈夫だと…何故かそう信じていた。 一段、一段、今は伏せる蒼い眼の青年を慎重に抱え登りながら、そう思う。 此処は争いがなく、煩わしいしがらみも必要ない。 誰も彼を追いつめないし、苦しめない。 ただ息をして、自由に生きる事ができる世界なのだ。 かつて、彼が欲し、手に入れられなかった楽園。 ─────それなのに。 抱きしめる指に力がこもる。足が止まる。あともう少しで最上階だと判っているのに。 うつむいたまま、青年はうめいた。 「……何が、駄目なのか……教えてくれ、サガ」 残酷な彼はいつも判ってくれない。 自分一人が被害者だという顔で、そして、その蒼で青年の心を捕らえたまま一人死ぬのだ。いつも。いつも。そうだった。何度同じ場面を迎えても、変わらない。 赤い花に埋もれるようにして死ぬサガを見つけてしまう度に、青年は絶望する。 死なないと判っていても、瞬間に受ける衝撃は変わらない。 他に何の言葉も思い浮かばない。青年はその瞬間、絶望する。 その瞬間。何度も何度も、彼によって青年の心は殺される。 「…お願いだ…起きて、俺に教えてくれ……」 今は伏しているその蒼い眼の色さえ憎み、青年はサガを抱えたまま立ち尽くした。 098. タリナイ → 072. 感傷 |