|
仕事の途中、ふと手を休めて、窓の外を何となしに見つめる。涼しい風が優しく頬をなでていった。四角く切り取られた景色の中にあるのは澄み切った青の空と、黄色い花々。 もうそんな時期かと思って、笑う。…さて。 「…お前またよからぬ事を考えているだろう」 不穏な動きを敏感に察知したのか、同じように書類をみていたシオンが顔をあげそう呟くが、アイオロスは「まさか」と書類を整えながら笑い返す。 「あ、書庫から資料とってきますね」 「未だ必要ない」 「いえ、はやめに持ってきた方が良いと思いますよ」 了承をえないまま、さっと立ち上がってドアのほうへ向かう青年を一瞥しながら、シオンが苦々しく呟く。云ったって、きっと変わらない。何も。 「………早く、光速で帰ってこい」 「俺、資料探すの下手なんですよね」 ばたんと、しまるドア。こめかみに手をそえ、教皇は重く溜め息をついた。 何を告げても、変わらない。そんなの13年前から知っている。 何を告げても、彼はその真っ直ぐな魂のままとびだしていくのだ。 鮮やかな軌跡を描いて。 *** 両腕いっぱいに黄色い花束をかかえてやってきた次期教皇をみて、カノンは不快気に眉をひそめる。そんな彼の顔をみて、花束をもった男はやはり笑った。 「サガはどんな花が好きなのかな」 問いかけたつもりではない、ただそう言葉を紡いでみる。双子の弟はしかめっ面のまま、知らないと短く答えた。 「アンタの方が知ってるだろ?俺より長く傍にいた」 くだらない事をきくなとばかりに云われてしまったから、流石のアイオロスも苦笑するしかなかった。 くだらない事ではない。 自分も、本当に何も、知らない。 たとえば、そんな何気ない事でさえ、彼の口からきいた事がない。 当時は気付かなかった。 彼は優しくて、ただ誠実で、良きライバルでありパートナーであった。親友だった。何でも隠し事なく話し合えていたきがする。確かに自分は全てをうち解けて話していた。俺の好きな花は、太陽の下堂々と咲き誇る花だと。そういった時、彼がひどく優しげな顔で「お前らしい」と云っていたのを覚えている。ただ、それだけの記憶。嗚呼。そうだね。それだけだったんだと、今頃気付いたんだよ。 弟から引き離され、聖域という小さな世界で生きてきた君と長く一緒にいたはずの俺は、君がどんな花を愛していたのかでさえ知らないんだ。未だに。 好きな色も、好きな食べ物も、好きな場所も、好きな本も、好きな…。何を厭い、何を愛していたのか、知らない。何を望み、何を恐れていたのか。何も知らなかったんだ。そんな簡単な事からすでに駄目だったんだろうね、今はそう思う。 憎い憎いと狂ったように叫び、聖域全体にみえぬ呪いの楔を打ち付けた君。どこでそうなったのか、綺麗に整えられていた爪はヒビがはいり、はがれて、血だらけ。眼は狂気に血走り、眼に映る全てを厭っていた。恐れていた。この世界のどこにも愛おしいものなどないという唇。絶望した眼で、こちらを見つめてきた。何に絶望していたのか、今になっても判らない。 ただ俺も、彼の絶望の一つにすぎなかった。 紫陽花にかこまれて眠る今の君をみて、ほっと息をつく。あの日、偶然みかけた紫陽花があまりに綺麗だったからつい持ってきてしまった。どうしてだか彼にあげたくなった。蘇って以来初めて、彼のもとへ行くのが楽しみになった日だった。 紫陽花がそろそろ時期を終えようとするので、だから今日は向日葵をみかけたので持ってきた。星矢が植えていったものだ。今度はベットいっぱい向日葵だらけにしてやろうと思う。また双子の弟が呆れそうだがしようがない。 だって、訊いてみたい。他の誰でもない君に。 「サガ」 静かに眠りにつく青年の耳元に顔をよせ、そっと名を呼ぶ。 君にたくさん訊きたい事がある。ありすぎて、何から話せばいいのか判らない程。 まず一番最初にどんな花が好きなのか、それを訊いてみたい。 目覚めたら一番最初にそれを訊くのだと。それだけはずっと前から決めているんだ。 そうしたら、今度は君の愛した花を贈ってあげようと、それだけをずっとずっと考えている。その計画をこっそり教皇にだけもらしたら、呆れた顔をされた。他の事は未だ正直決めかねていない。申し訳ない程、俺はあの頃のまま変わらず蘇った。 花束を贈った瞬間、君は、どんな顔をするだろうか。 「毎日、両手いっぱいの花束もって待っているからな」 自分は今、どんな表情をして彼に話しかけているんだろうか。ふと、気になった。 とびきり幸せそうな顔をしていたら良い。 何の深い理由もなく、ただ、君に逢いたかった。 093. ただひとりの君を (050719) |