いつのまに来ていたのだろうか。
そして、どのくらいの時間、此処にいたのだろうか。

そのどちらもカノンには判る事なく、ただこちらを振り返った彼がいつものように微笑んだのを、眉をしかめて見返す事しかできなかった。
カノンが彼を苦手とするのは、このきっと、言葉に形容できない「穏やかさ」だと思う。不気味なまでの。


静かに微笑んだ彼は、微笑んで、そしてまた再び視線の先をもとの場所に戻した。
白い柔らかなベッド、嘘かの様に綺麗な青年が、そこで眠りの淵についている。
長い睫毛におちた影は少しも震えるコトはない。穏やか。

呼吸をしているのかさえ怪しい程に静かにその青年は眠っていた。

そんな青年を、微笑んだままの彼がみつめる。
いつまでも、いつまでも。
どんな眼差しを注いでいるのかは、知らない。
何を想って、其処に立ち、いつまでも目覚めない「裏切り者」を見守る様に佇むのか。
それは、この青年の目覚めを待っているかの様にも見えて、青年が眠ったまま呼吸を止める日を待っているかの様にも見える。

眠ったまま動かない青年と、その青年をじっとみつめる彼。
一言も喋る事なく、ただ見つめるだけ。

カノンには、何も判らない。知らない。


聖域に女神が戻り、復活の光を浴びた聖闘士たちが蘇り、そしてこのカノンも、彼…アイオロスも再び生を手にした───この今眠りにつく青年以外。
青年の魂は、自害という行為によって激しく傷つき、光を浴びてもなかなか闇の淵から抜け出せないでいるらしい、と女神はそう告げた。だから、眠っていた。ずっと、ずっと。再び聖域が動き出して、すでに一ヶ月。それでも、眠り続けたままだった。
そして、その間ずっと、この今は次期教皇として政務に携わり忙しい身であるアイオロスが、何故かは知らぬが毎日、そう毎日訪れる様になった。毎日毎日、訪れては、ただ眠る青年の顔をじっと見つめる。見つめて、そしてしばらくして去る。
それの繰り返し。理由は訊いた事なかった。どうでも良かった。


「─────サガ…」


こちらに背を向け、眠るヒトばかりを見つめていたアイオロスがそっとそう呟く。
どんな感情がこめられ未だ目覚めないその名が紡がれたのかは、カノンにはでも矢張り判らなかった。
ただ、少し寂しそうに聞こえた気がした。







サガの眠る部屋のカーテンを毎朝開けるのが、カノンの日課になっている。
幼い頃、サガがよくそうやって自分にしてくれたからだった。


だから今日も、その時間が止まったかの様な部屋に入った。いつ入っても変わらない、殺風景な室内が視界に映る、─────はずだった。


「………………なにやってんだ…アイオロス…?」
「おはよう、カノン。」


ぎょっと眼をむいて驚いた表情をみせるカノンに対し、矢張りアイオロスは笑った。
声をたてず笑った。そして笑って、一輪の花を、カノンによく見える様にと、さしだす。

蒼から紫へと、美しい色合いをみせる紫陽花。


「昨日までは、色づいていなかったんだ。それが、今朝見たら、ほら、こんなにも鮮やかで綺麗な色になっててさ……綺麗なもんだから、つい摘んできてしまったよ。」
「……だからってお前、限度があるだろ……、」


サガの寝床中にしきつめられた花。花。花。
白いそこを覆うかの様に、紫陽花がそえられる。
本来ならば、茎を切れば萎えるはずの花も、誰かの温かで雄大な小宇宙のせいか、今もその鮮やかさを欠く事なく存在していた。
奇跡かの様な、空間。


「桜の季節は終わってしまったけど、夏になったら向日葵を摘んでこよう。秋には秋桜を。百合も、サガにきっと合う。とにかく、季節折々に咲く花を摘んで、サガにあげようとそう思うんだ。」


そうしたら、サガもその綺麗な花の香につられて起きるかもしれない。
アイオロスはそう云って、矢張り笑った。笑うのだ。

カノンはその時にしてようやく、彼がサガの目覚めを待っていた事を知る。





死んだかの様に寝入るヒトのまわりにそんなにも花をしきつめたら、まるで花葬の様だと、そうも云ってみたが彼は笑うだけだった。答えをみせずに笑うそんな彼が、矢張りカノンは嫌いだとそう思った。だけど、

花にしきつめられた兄の頬に手をそえる。
冷たかった。嫌になるくらい、かつてのぬくもりを教えてくれない。


「お前、このままだといつか花に埋もれて死ぬぞ。あの莫迦のせいでな。」


彼は告げたその言葉のまま、兄が目覚めるまでずっと、その目覚めを待つ為に花を飾り付けていくだろう。毎日でも、もってくるだろう。それ程、待ち望んでいるのだろう。
そして、その想いの分だけ花が此処に咲いて、あふれるのだ。夏になれば、向日葵もたくさん咲く。そしたら、本当に生き埋めになるかもしれない。

そこまで思って、どうしょうもなくて思わず笑った。笑って、囁いた。


「だから次の季節が巡りくる前までには、目覚めてしまえ。」


(草木凍え枯れる冬はもう終わったんだよ。こんなにも花咲き誇る春がやってきたんだ。だから、早く目覚めてしまえ。)


自分も、兄の目覚めを待っていた。




095. 季節が巡るように (04年06月頃)
ギリシアに紫陽花は咲いてないかと思いますが。