最後の楽園12



体の中にぽっかり空洞ができたかのような、または心臓がつぶされたのにまだ生きているかのような…。サガはその瞬間、そう感じた。言葉にすれば、絶望に近かったそれは。でもその言葉もまた的確ではない。ただ、何ともいえない想いが喉もとまで押し上がってきて、気持ち悪くなった。
このままではいけないのに。侍女を呼ぼうと想ったのに。何も出来なかった。
うずくまって血を吐いた彼のその姿が、血と彼が、以前視た何かに似ていたきがしたから。何なのか判らないのに、それでも前にも一度、この感覚を味わった事があると思う。サガをこの場に縛り付けてしまう程の何かに。

「…………サジ、タリア ス……」
「……別に、心配しなくてもいいよ。もう、死なないんだし…。ただ、ちょっと…俺がやりすぎただけだから…」

均衡を、壊したのだと。
先程も何処かできいた言葉だった、それは。ぼんやりした頭でサガは思い出す。そう…このエリシオンから抜け出す際、シオンと名乗った男が塔を見て…、云った。


────この塔は、あの莫迦の小宇宙で作られている。お前を守る為に。判るか?

お前は何度も死する事でその魂を傷つけてきた。
魂として存続できない程あやうくなるまで。

お前のそんな魂を守る為に、生かす為に、この塔は出来ている。
塔はお前の揺りかごと同じ。塔の中に包まれ抱かれる事によって、お前の魂の傷をこの塔の小宇宙が癒していくのだ。
塔の力自体を削ぎながら、丁寧に丁寧に。

お前が傷つけば、その度に塔の小宇宙がお前に染み渡っていく。
同時に、塔を通して少しずつ少しずつあの莫迦自体の小宇宙も減っていくのだ。
いくら、塔を媒介にエリシオンの力を借りながらとはいえ…、急激に減れば均衡が崩れ、一気にそのツケが本人に戻ってくる。

判るか?お前があいつの命を危うくしているのだ。────


「………この塔に戻ってきたのは…、私がまたいつ死んでも消滅しないようにするため…?」
「…………サガ、」
「そうして、私の知らぬ処でどんどんお前の命が削られていくのか?」
「削られても死にはしない…俺は星だから……一時この地での体を失うだけだ」
「そうじゃなくて……、どうしてだっ?!どうして、勝手に…お前はそう、いつも…勝手に事を進めるんだ?!」

怒鳴った。青年がわずかに眼を丸くする。この青年と此処で出逢ってから初めて声をあらげたのだ。でも、今サガはそんな事に構ってる余裕などなかった。
悲しかった。悲しくて、悲しくて、どうしようもなかった。
何が切っ掛けなのかは判らない。別れの言葉か。触れて去った温もりか。この血か。自身を犠牲にしながらそれでもサガを守ろうとしていた事か。判らない。ただ、今、溜めていた全部が流れ出したのは確か。言葉は、想いは、止まらなかった。

「お前は勝手だ…!全部を一人で背負い込もうとする。いらないものは私に見せないで。私はただお前に与えられた世界だけでお前の人形のように生かされているだけだ。守れれば満足か?!息をしていれば満足か?!」
「…そんな事、ない。俺は…」
「いつだってそうだ!始終へらへらと笑ってばかりで…、本音を言わないで…。何が思い出してくれないだ!今目の前にお前がいるのに、以前のお前なんて思いだしてもしょうがないだろ?!記憶がないといっているのにワケの分からない嫌味ばかりいうし」
「俺だって、人間なんだから…悔しいと思うんだよ」
「馬鹿馬鹿しい!お前は翼だって力だって何だってあるくせに!私だって此処に閉じこめて…。お前はいつもいつも私の欲しいもの全部手にしているくせに!」

…ダン!

青年とサガの間で突然響いた大きな音に、サガの口がようやく止まる。驚いて、血まみれの拳で床を叩いた青年を見つめた。青年は俯いたまま、口を開く。

「黙っていれば…、お前がそう云うとは思わなかったよ。勝手なのは、どっちだ?満足してなかったのは、どっちだ?何度も何度も何度も、…何度も、俺の目の前で死んだのはサガだろう…!」

また、ドン!と拳を叩き付ける。キッと、翡翠の瞳がこちらを睨んでくるから、サガもムッとした。何故だか、ムッとしたのだ。プチン、キレたのかもしれない。

「そんなの覚えてないのだから関係ない!大体、そのまま死なせといてくれればいいだろ?!そうすれば、何度も見ずにすんだ!私だって眠りにつけた!」
「そうやってすぐ死なせろとか云う!死なれた方の気持ちを考えろよ!」
「なら、へらへらへらへら笑ってないで、死ぬなとか一言でも云えば良かっただろ?!私は覚えてなかったんだから!何も云わないで、余裕ぶってるお前が悪い!」
「そっちだって偽善者ぶってニコニコ、嫌でも笑ってたくせに!お前の場合は余裕がない時ぐらい顔にだせよ!大体、こっちに来たら今度は猫被ってすげぇ大人しいし!何だよ、あのシオン様の前での態度!」
「お前だって、猫被ってたろ?!」
「ああ、もう!こうやってズゲズゲ云えるくせに、肝心な所じゃ鬱になってグチグチしてるし!判らないんだよ、そこらへんが!どうしてもっと楽に生きようとしないのかなぁ?」
「お前は楽にしすぎだ!何にも考えないで、こんな不毛な世界!塔のデザインをもっと凝ってつくれ!あと、風呂はもっと豪華に!」
「先に云えよ、それぐらい!」
「計画性もないし、がさつだし、元気すぎて風邪ひかないし、底が抜けすぎてもうどうしようもない莫迦だし!此処にいろといったくせに、今度は好きにしろだと?!ワケが分からない!最低最悪だ、お前は!」
「サガだって!深く考えて考えて、結局は考えすぎで自滅しちゃうし!綺麗な顔して、言動行動かわいくないし!しかも、俺限定でさ!本当に、風だ…!掴まえようとしてもすぐすり抜ける。眼を離すとすぐ消える!サガは狡い!」

「「大体、お前は…!」」

二人の言葉が重なって、そこでようやく口論は途絶えた。
青年がサガを見つめ、サガが青年をみつめた。言葉なく。静かに。沈黙。
でも、かげる翡翠がその沈黙を静かに終わらせた。

「……勝手に消えて…、次に会えたと思えば、今度は殺してくれって云うし……本当にサガには参ったよ…。此処でも、あそこでも、振り回されてばっかだ。一体、何が駄目だったんだろう…。何故、いつも駄目になってしまうんだろうな」

欲しいものなんて、いつも手に入らない。
翼があったって、力があったって、君がいたからって。
この世界でも、あの穏やかな世界でも。

「…………俺は、ただ、お前の傍で……一緒に生きたかっただけなんだ」

告げて、再びうつむいてしまう。低く、何かを押し殺すかの様な声で。床の上で握り締める赤い手を、サガは見つめた。久しぶりにこんなに喋ったせいか、サガはそれをただ呆然としか見られない。意識が遠のきそうになる。漂う。微睡む。…でも。

「………………お前の、傍にいるのが………嫌だった…」
「………サガ、」
「怖かった。いろんな事が……怖かった。残された人間の気持ちなんて知っている。だって、お前が私をあの地に残していったんだ。あの地に私だけを残して、私の傍からお前は消えたんだ。憎かった…大嫌いだった、お前なんか…」

だって、殺しもせず、置いていったんだ。
─────でも、

「それでも、もう一度逢いたかった」
「……………」
「だから、死の眠りにつく前…せめて一目だけでもと思って……お前の小宇宙をさがしてこの世界に辿り着いたんだ。必死だったから、記憶も全て忘れてしまったけど………でも………お前の傍にいたかった」

青年が顔をあげる。ひどく驚いた表情に、サガは思わず笑う。が、上手く笑えなくて代わりに泣きそうになった。

「…どうして……いつも、こうなってしまうのだろうな」

ただ、互いに傍にいたがっているだけなのに。
…近付いた途端に、天と地に引き離される。
指一本触れ合う事さえ、罪かのように。
────せめて、同じヒトの魂として共に眠りにつく事ができていれば。

それすら、二人はかなわなかった。
だって、一つは星で、一つは目覚めて女神のもとに行かねばならない。

「………………天の星じゃない、鳥でもない、ヒトとして…一緒に聖域で生きたお前の傍にありたかった。…サジタリアスじゃない。お前の名前は、アイオロスだ」



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