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それでもそこは、幸せに満ちていた。 *** 白いシーツの上に寝転がりながら、空を見る。四角く切り取られた空は、いつもと変わりなく美しい。そのまま微睡み始めたサガはでも、髪をなでてきた存在に気付いて途端眼が覚めてしまう。 眼を開ければベッドの傍、目の前に見慣れた微笑みが見つかった。 この青年はいつも気配なく、気付けば傍にいるのだ。何処から現れるのかも知らないし、何処に行くのかも知らない。時折誰かに呼び出されて出ていく度に訊こうと思うのだが、いつも誤魔化されてしまう。 「髪、随分のびたね」 「お前の前髪も鬱陶しい」 「それは、それは」 サガの長い金糸をすくっていた青年は笑った。 「じゃあ、サガが切ってくれる?」 切る度に、陽にすけて金にも見間違う髪がぱらぱらと落ちていった。ぱらぱら、きらきら。花畑の中に落ちる。端正な面立ちを見つめながら、サガは慎重にそろえていった。はさみの音と、髪が落ちる音と、花が揺れる音。静かな。 伏せたら案外彼の睫毛は長いと判る。意思の強さを思わすようにかたく閉じた唇。すらりとした鼻梁…。普段こんなにじっと彼の顔を見ないなと思った瞬間、耳にのぼる熱に気付き、思わずサガの手がとまる。 眼を瞑っていた青年がそれに気付き、翡翠の色をみせた。 「……サガ?」 「………………終わった」 誤魔化すようにその髪を手でぐしゃぐしゃにかき回してから、そのまま ────サガは逃亡した。 いきなり背を向け逃げだした金髪の麗人に驚いた青年も、慌ててその後を追う。 「え、…ちょっ……サガ!」 「来るな!来るな!来るなっ!」 顔を真っ赤にして怒鳴るが、青年の足は止まらない。どんどん縮まる距離に驚いて、サガは更に速く走ろうとしたが……、それより先に青年の手がサガを捕まえてしまう。いきなり後ろに引かれて、よろめいた体はでもそのまま彼の胸の中におさまった。 「何処まで走る気だったんだか」 「………お前が追わなくなるまでだ」 「じゃあ、サガは一生走り続ける処だったね」 「一生追い回すつもりか」 青年は微笑むだけだった。 二本の腕の温もりに包まれながら、サガは空を見上げる。本当に代わり映えのない蒼だ。空と花に愛され包まれたこの世界は、今の彼の腕の中と似ているとサガは思った。優しく真綿に包み込む様にしてただ愛でられ守られ…。変わらずに。 この世界は彼の体温の様に温かで穏やかだ。 ふと、青年の頭がサガの肩に落ちる。 視界の端に茶金が見えると思った瞬間、彼の声。 「ずっと、傍にいるから────」 後ろからきつく抱きしめられながら、青年が囁くかのように、またはうめくかのように…告げた。小さく。 「だから、此処にいて」 守るから。苦しめないから。悲しませないから。 ────だから、離れないでと、云われた。 伝わる温もりはただただ居心地良く、サガは微睡む様に眼を瞑る。 たゆたう意識の先で、少女の声をまた聞いたきがした。 *** 『 オルフェウスは、歓喜しながら走った。 エウリディケの手の温もりに安堵しながら、再び巡り会えた事を神に感謝しながら。ただただ鬱蒼として昏い黄泉の道を走る。もうこの手を離さないとオルフェウスは強く胸に誓った。何も不安などなかった。エウリディケと一緒ならどんな壁も乗り越えていけると信じていた。そして、その彼女は今此処にいる。 他に何もいらないと、確かにその瞬間感じていた。 さぁ、出口はすぐそこだ!これで全てが上手くいく! オルフェウスはエウリディケの手を握りながら叫び、彼女を振り返った。 』 (オルフェウスの竪琴/こと座) 083. 体温 → 090. 強さと弱さ |