| その瞬間、走り抜けていった黄金の矢のような風はそのまま空の彼方へと飛んでいってしまった。もう、追いつかない。届かない。 「教皇……サガ達は」 今更追いついてきたシュラ達の声に、シオンは馬鹿者!と怒鳴った。 「連れ去られたわ!」 近くて遠い彼方。天の彼方でも、大地の彼方でもない。地獄の彼方にある楽園エリシオン。二つの魂は、再びあの地へ飛んでいったのだ。 楽園は其処にあるのだと信じて。 *** 波間を漂うような揺らめく感覚の中で、サガは視た。 蒼く蒼く果てしなく続くかのような海の中、波に漂う青年を。胸から赤い血を流し、それで蒼い海を汚していきながら。眠るように漂う自分に似た顔をもつ青年を視た。 生きろ、と願った。どうしてか生きて欲しかった。自分勝手だとは判ってた。それでも、彼には生きて欲しかった。どうしょうもなく願った。 願いがあふれて溶けると、涙になってこぼれた。願いをこぼしながら、眼が覚める。 視界に映ったのはうずくまる白い鳥だった。…否。 「……………お前、」 手をそっとのばす。触れる大きく白い翼。柔らかで、温かな…知っているぬくもりを宿した。呼吸する度に震える背。うずくまって…閉じた翼の下から見えるのは茶色の髪。鳥じゃなくて、背に翼をはやした…、 「あ…サ、サ ジタ リアス…?」 「何でいっつもそんな躊躇うように呼ぶのかなぁ…」 翼が震えて、小さく笑う声。ふせていた顔があがり、いつもの翡翠の色が現れた。でも、酷くやつれた色。呼吸も心なしか荒い。サガが起き上がろうとすれば、青年の腕が掴んで止めた。 「俺の視界から勝手に消えないで。此処まで飛ぶのでもう限界なんだ俺だって。これ以上何処かに行かれたらたまらない」 流石の俺も疲れたよ、と笑うその表情にもかげりが見えた。 サガは未だはっきりと覚えていた。自分が飛び降りようとした瞬間の事を。いつもは夢見心地の様な感覚で、目覚めた後はすっかり忘れていた。なのに、今日ははっきりと記憶に残っている。暗く深い谷底へ落ちようとした瞬間、目の前を金色の光が覆ったのだ。眩い光に、温かな腕に包まれたと思った瞬間には空を飛んでいて…。きっと、彼がとっさにこの翼で救ってくれたのだろう。 そして、またこの美しい世界に連れ帰ってきたのだ。 「……なに、泣いているの?」 青年がそう云って、こぼれていったサガの夢の名残を指ですくっていった。 「………夢を、また…視たんだ」 「また、悲しい夢?」 「またあの子を…。私はきっとあの子を知ってる。そして、時折耳に届く歌の少女も……知っている…。だって…こんなに懐かしいんだ…」 そう告げて眼を瞑れば、端からぽろぽろとまた涙がこぼれていく。思い出す度に苦しくなる。苦しくて、苦しくて…あふれんばかりの憎悪と哀しみ…身を切るような切なさ。 そして、────狂おしい程の愛おしさ。 付随してわきあがる感情に心がついていかなくなる。 あふれてあふれて、どうしようもなくなる。怖くなる。怖くて、だから、いつも窓の外へ飛び立とうとしていたのだろうか。翼もないくせに、逃げようとして。 否、歌う少女に会いに行きたかったのかもしれない。全ての感情の出所へ。 「此処は、何処なんだ…?」 「………サガ」 「私はもっと美しい空を知っていたはずだ」 もっと、大切な世界を。 「教えてくれ…!」 涙でにじむ視界で、翡翠の色をみつめた。彼がどんな表情をしていたのかはよく判らない。ただ、いつもと変わらず真っ直ぐな瞳がそこには在った。でもやがて、伏せる。 「君は、いつもそうだ」 「………え」 「でも判ってた。最初から。俺と共に歩む道だけはいつも選ばないんだと」 いつだって。何度だって。 共に生きようとすれば生きられた道もあったというのに。 …その直前になって、彼はいつも違う道を選ぶのだ、と。 「…………でも、私は…知りたい。あの子のことを……歌声の少女の事も………、傍に、傍に行きたいんだ」 「記憶も何もかも忘れてしまったのに、未だ彼女と弟の事を覚えているだなんて全く君らしいよ。ほんと、憎らしいぐらいそれは君だ」 彼というものを形成した全てを忘れたって奪ったって変わらない。彼は、彼のまま。 ───だから、俺も忘れられないのかと、青年が呟いたがサガには届かなかった。 「……俺の事は何一つ思い出せなかったくせにな」 ただその一言だけが、二人の間に落ちて波紋をつくる。 ふと、サガは思う。自分達はこんな危うい世界に立っていたのかと。こんな…いつ崩れるかも判らない心を頼りに寄り添っていただけなのかと。危うかった。少しでも均衡を乱せば、がらがらと崩れるのだ。サガはすでにもう何度か均衡を崩した、でもその度に青年が耐えてくれていたのだ。辛抱強く。…しかし、今はもう。 「………サ、ジタリ アス…」 「いいよ、君は行けばいい。君が憎みながらも愛したあの世界へ。それが、望みなら。君は、俺とは違ってもう自由なんだ。行っていいよ。そこから立ち上がってさ」 云って、青年も二本の腕を支えにしながらゆっくりと上体をあげる。つられてサガも起き上がるが、足に力が入らずそこから立てずにいた。うつむいた青年の顔を覗き込んでしまいたかったが、それすら上手く動かない。いつもの様に笑む口元しかみえない。 「君が選ぶ道に行ってしまえばいい」 そのまま、肩をとん、と手でおされた。触れて、すぐに去った温もりが何故だか悲しかった。遠い昔に失ってしまった何かに似ていると想った。何か、大切だったものに。 それが、嫌で嫌でしょうがなくなって…どうしてもこのままじゃいられなくなったサガが口を開いた瞬間、…だった。 ドバドバ、ボタッ… 激しく咳き込んだと思った青年の口から多量の血反吐が吐かれた音だった、それは。 063. 薄氷 → 091. 真実 ヒトじゃない、神に近い星のヒトなので、君の背中にはきっと羽根があるんだよーと…。書いててどうしても鳥ハウルしか思い描けなかった。…長編にありきたりな吐血ネタでスミマセン。 |