「お墓を、」

先程まで沈黙していた桜色の唇が、突然ぽつりと言葉をこぼしたので、カノンは「何か?」と敬うべき対象を振り返る。そうして眼があうと、女神である少女はにっこりと笑んだ。ハーデスの軍勢が聖域内に入り込んだかもしれない状況下には相応しくない穏やかすぎる表情だった。

「サガのお墓を、慰霊地につくりました。良ければ、あとで会いに行ってあげて下さい」
「…………そうですか」
「あら。お墓参りは嫌いですか?」

いえ、そんなことは…といいかけて、でもすぐに言葉がでてこなくなる。続かない。何といえば伝わるのかカノンには判らなかった。胸中に抱え込んでしまったこの感情を。

自分の中の兄は、あの日…岬で、自分に背をむけ去っていったあの姿のまま止まっている。最後にみた、遠い背中。振り向かなかった。…もう何年も前。
海龍として海底の実権を握り、体制が整ってきた頃、遠い地上のあの忌まわしい地で「裏切り者の双子座」が死んだと知った。人づてに聞いた。虫の知らせも何もない。双子だからって特別じゃない、個々の人間なんだとその瞬間(今更だったが)初めて実感できた時だった。知らない間に、この世界で誰よりも自分に近い男が死んでいた。…ただ、それだけだった。

ただ、死んだときいた瞬間、急に力がぬけたきがした。


結局永遠に振り返らなかった兄を思い出せばまた、あの時の気持ちがじんわりと蘇り(それが自分にしてはやけに深い処にあったものだから余計に)、だから女神が再び唐突に口を開いた時は急に現実に戻されたようでひどく驚いた。

「射手座のアイオロスの横に、墓はつくりましたのよ。私の意思ではなく、黄金聖闘士達が自ら」

何故、と無意識に唇がそう動いた。声になったかどうかは判らなかった。ただ、やんわりと微笑む女神の次の言葉を望んだ。 何故、彼らが…。
憎んでいるはずだった、兄を。誰もが。
英雄の横に罪人をおくなど、悪意からでるものしか理由が判らない。

私も理由は知りませんわ、と相変わらず微笑みながら女神は答えた。

「ただ、私より、サガとアイオロスを知っていたのは彼らですから」

だから、好きなように任せました。

女神の言葉にふと、あの頃の二人を思い返そうとして…、でも途中で息苦しくなるからやめた。あの頃は何もかもが生きるには不自由すぎて、やたらと苛々していた記憶しかない。兄の目を通してしった射手座の少年の記憶なんか、遙か彼方だ。
兄はどんな苦々しい思いであの少年を見つめていたんだろうか。
知らないし、興味ない。親友だといつかに云っていた。
遙か、昔。ただ、息苦しい世界。嗚呼、兄もそう思っていたのだろうか。
判らない。自分は兄の死に顔も知らない。結局聖域を出ずに死んだ男。
頭がずきずきと痛みだすなか、それでも女神に問う。

「サガは…」
「ええ」
「サガは安らかな夢がみられたでしょうか」

穏やかな夢路を。
苦しみあえぎながら、弟をも見捨てていった殉教者が、せめて最期だけは、どうか、と。思わずにはいられなくなる。

「それをヒトは、墓石の前で祈るんですよ」

女神は優しく微笑んで告げた。



end. (050719)