つないだ手を離さないまま、何処までも行けるわけない。
彼は笑って、こう答えた。


行く前から、何処にも行けないなんて決めつけて欲しくないんだ。









虹の彼方で、僕は眠りにつく。-二人であった日に。-







生まれたばかりの「女神」を目にした後、二人は各々の宮に帰る為に、長い石段を降りていた。しばらくして彼が重たい口を開く。


「……何だか、拍子抜けした。女神は女神であっても、矢張り最初は赤子なのだな」
「何で?あたりまえじゃないか。地上にある生物は皆、最初は赤子として産まれるんだから」


ある意味不謹慎とも云えなくもないサガの言葉に、アイオロスは首を傾げた。そんな事を云う様な性格ではないというのに。


「赤子が、世界を守れるのか?…こんな、今日も何処かで紛争が起こっているこの世界を、変えられるコトが出来るのか?」
「─────サガ、」
「……すまない。忘れてくれ」


小さく謝罪をしたサガはそれきり口を開かなかった。アイオロスも何といえば良いのか判らなくて、口をつぐむ。ただ、頭上に広がる空が大きく、綺麗な蒼だった。
今日も、昨日と変わらない、空。
─────きっと、明日も変わらない…。


「……約束を、」
「え?」


何かを云わずにはいられなかった。何かを。今、此処で、何かを伝えたかった。


「虹を見た日に約束をしただろ?忘れたか?」
「…覚えている」
「なら、あの約束通り、その日まで俺達が守ろう…」


数歩先に行っていたアイオロスがそう告げてから、静かにサガを振り返る。サガは、蒼い綺麗な瞳で、アイオロスを見返していた。そして、一瞬、苦しげな顔をした…。泣きそうな、眩しそうな…、目を細めて。細められた双眸の色を、アイオロスは確かに見た。


「なあ、サガ…」
「………なんだ、」


複雑そうな顔を浮かべたサガに、アイオロスは微笑んだ。少しすまなそうに、でも微笑んだ。


「ふと…誰かを抱きしめたくなる瞬間ってない?」
「───────は?」


先程の会話の続きとでも思っていたのだろう。サガが眉根を寄せて聞き返してきた。いつものサガらしい表情に思わずもれる笑みを隠しきれないまま、そのまま───腕をのばして抱き寄せた。


「何か、時々さ…どうしょうもないなって時に…うん、そんな時に誰かを抱きしめたくなるんだ」
「何だ、それは。どうして、今なんだ」
「さあ…でも、今がいい」


普段と違うアイオロスに戸惑ったのかサガの抵抗は小さくて、だからアイオロスは両腕に力をこめた。誰かのぬくもりを感じると、どうしょうもなく安心できた。ぽっかりと何処か乾いた心が包まれる気がした。


「………誰でも良いんだろ?なら、私じゃなくとも…、」
「違う。サガがいい。サガが、いいんだ」


感じるぬくもりと共に伝わるサガの小宇宙がひどく心地よかった。しばらくしてから、サガの手がぽんぽんとアイオロスの背を優しく叩いてくる。


「…何を、お前は恐れているんだ?」
「………恐れる…?」
「シオン様にこっぴどく叱られたって泣いた事のないお前が、今は泣きそうな顔をしている」


そうなのだろうか?
でも自分でも判らなくて、アイオロスは結局何も答えられなかった。
ただ、矢張り彼は優しすぎて、心地よすぎて、抱きしめた手がしばらく離せそうにない。ずっと、このままでいたかった。そんな事、無理だと判っていても。

昨日と今日が同じであっても、明日までが同じだとは限らない。明日は曇っているかもしれない、嵐かもしれない。
明日には、────この優しい世界がないかもしれない。
だから、この今という瞬間がとても愛おしすぎて、離せない。


「………どうして、永遠は存在しないのだろうか…」


いつか、明日が終わる事を知っている。知ってる、判ってる。
時折、彼の瞳の色が、血の様に紅く染まる事を。それは大抵、この世界の在り方に憤っている時…。その瞳が紅くなる、それはきっと、凶兆の証。いつか、訪れる二人であれた日の終わりを告げる色。
いつか、必ず───彼は、きっと事を犯す。

(どうしてこのままではいられないのだろうか。)


「お前らしくない。永遠などあったら、何が大切なのか判らなくなるだろう」
「───ああ、そうだな…。そうなんだ。でも…」


それでも、ずっと、こうして抱きしめていたい。
この清冽な、苛烈な魂が、何処か遠くへ走り出してしまわない様に。一人で、前だけを見て駆け出さない様に。勝つとか、負けるとか。英雄だとか、教皇だとか…そんなつまらない事ばかりにどうして彼は囚われるのだろうか。


(俺は、ただ─────…)


ふと、腕の中で、サガが笑う。小さく、微笑んだ。蒼の瞳で。


「仕方がない。少しの間だけだからな」


もう少しだけ、このままでいてやる。


「……ごめん、」
「謝るなら、そんな弱気な顔をみせるな」
「…うん、ごめん。ごめん…ありがとう」


彼がそれでもその道しか選べなかったとしたら。それが違えようのない未来なのだとしたら。紅い瞳が、二人の未来を裂くというのならば…。
ならば、振り返らず走る彼のその目の前に在ろうとそう思った。彼の目の前に、彼の見つめる先に、其処にいようと思った。彼が追いかけてきてくれるのなら、それで良かった。真っ直ぐ前に、立とうと思った。
二人の未来に待つのが、たとえそどんな運命なのだとしても。


「……虹が、見えるといいな」


サガが静かにそう呟く。
抱きしめているのは自分だというのに、サガの温もりが心地よすぎて、自分が抱きしめられているかの様な錯覚を受けた。

───あともう少し、こうして全てを忘れてこの心地よさに抱かれたい。
いつか失うぬくもりだとしても。


あと、少しだけ…。





end. (040802)