|
探し人は、赤薔薇に囲まれて眼を閉じていた。 薔薇を軽く掻き分け、その金糸の髪の人の傍に近づいて、手をのばす。 「キスして起こした方が良いのかな?」 「云ってろ」 同時に、赤薔薇がぱさりとアイオロスの顔にむかって投げられた。 金糸の人に触れようとした指でその薔薇を掴んで阻むと、指先がぴりぴりと痺れる。じわりと静かに浸食しようとする不純物。彼の小宇宙がやんわりとそれを光の塵にかえてしまったが。 「なにこれ。毒?? ってか、俺を殺す気か」 常人ではれば、死に至る毒を、その薔薇は有していた。 「…先日ひろってきたあの子供の宮に、咲き始めた聖域特有の薔薇だ。主が戻った途端、枯れていたはずの薔薇園が再び花を咲かした。便利なものだが、あの子にはまだ耐性がないから、全部私が預かってきた」 「それで毒薔薇の中で自殺未遂してみた、と」 「これくらいで死んだら、シオン様に殺される」 愛してやまない遠い空の色を秘めた瞳を伏せて隠したまま、彼はそこまで告げて、口を再び閉じた。黙っていると、まるで棺の中のなにかのようだった。今度こそ彼に触れたいが為にのばされた指は、その額にかかっている金糸を払っていた。触れる髪が、泣きたくなる程軽くて、儚い。 「死んだら、泣いちゃうよ、俺」 「くだらない」 私は、女神を、地上を守りきるまでは死なない。 そう、さらりと(こちらの瞳もみずに)断言した彼を、いっそ憎らしいとさえ思った。アイオロスも同じこころを持つとしても。 それでも、アイオロスという人間は、彼という人の「死」を想像したくはなかったのだ。 双児宮の隣の宮でも異変が生じ始めている事を、知っていた。 まだその宮の主が技を習得してないうちから、宮内に死の臭気が立ちこめ始めたのだ。先代の、もしくはその更に前からの呪われた力が死霊を呼び、いずれ幼い主を取り囲み、主の精神を苛むだろうと、教皇がそう云っていた。 そして今日、此処にくる途中で、ある宮が何かにとても歓ぶように輝きを増していた。もしかしたら、何処かで、黄金の命が生まれたのかもしれない。 あらかじめきめられたパズルのピースをはめていくように。 「運命すら、もう決まっているというのなら、」 唐突にそうささやいたのは、金糸の人であった。 蟹座の子も、魚座の子も、出逢ったのは偶然であり、拾って連れて帰ったのもまた偶然であった。 なのに、それは必然かのように、黄金の小宇宙の宿していた。 「何かに抗う事すら、無駄なのだろうか」 毒から、死霊から、守りたいと思う気持ちは。 (己の、死の宿命から逃れようとする事は) 「もう未来が決まっているというのならば、私は生まれてきた日を呪いたい」 「何故?」 薔薇を全部摘み取った彼の指先は、棘により細かな傷を幾つもつくっていた。アイオロスはその両手を恭しくもちあげ、唇を傷の数ごとに落としていく。金糸の人は、ただ、疲れたように言葉を紡ぐだけ。 「…お前は、きっと、不幸になるよ」 「俺は、幸せだよ」 「どうか、私を呪いながら死んでいって欲しい。そうすれば、次は同じ時代に生まれないだろうから」 ああ、と思ってその唇を塞いだのは衝動でしかなかった。かの人の言葉はいつだってアイオロスにとっての棘であった(かの人にとって自分の言葉が刺であるのと同じように)。傷が化膿するまで傷つけあって、そうして互いの存在を確認して、そして。 唇が離れ、恐れるようにアイオロスが瞳を開くと、間近にあの蒼天の色の瞳がこちらを見つめていた。薔薇の濃い香り。 「…俺は、サガと一緒の時に生きられて、しあわせだよ」 「お前のいう幸せが私には判らない」 「サガ、」 名を呼ばれて、蒼い瞳が小さく揺れた。 「アイオロス。こうやって触れてしまえば、それは、離れる時、ぬくもりが苦痛にかわるだけだ」 サガが、さびしそうに告げた。 吐息が届く程近かったアイオロスの顔が少しだけ離れて、苦く笑う。 「…よりにもよって誕生日にそう云われると、俺だって虚しくなるんですけど」 「以上の理由で、『生まれてきてくれてありがとう』といえないだけだ」 「俺が最初からいなかったら、君の人生はどうなってたのかな?」 「何も。…ただ、ネジが錆びて止まるまで動き続けただけだ。憎しみも、喜びも知らず。運命に従って」 そうなれたならば、きっとどんなに良かった事だろうと、サガはそう思っている。サガの対極に位置する彼がこうして傍にある、運命。 神は何とも残酷だった。世界に生まれ落ちたその瞬間から、絶望は始まっていたのだ。いずれ、この輝かしい魂はきっと知らず知らずサガの心の奥で燻る影を苛むだろう。そうして、サガはきっと、彼を。──全てが仕組まれたパズルのように。 サガは、そう予感している。 「次は、もっと遠い場所で、私を知らないまま生まれてきて、そして、其処でお前には幸せになって欲しい。そう、祝福したいと心底思っているんだ」 ( 同じ時代に生まれなければ、きっとお前は幸せに死ねたのだ ) 「サガ」 アイオロスがゆっくりと優しく、サガのその傷だらけの両手を握りしめた。 けっして、離さないようにと。 (この先、どんな未来が待っているのか、2人とも判らないまま) 「サガのいない世界で生きるだなんて、俺には想像もつかないよ」 静かに、そう笑ったアイオロスに、サガもゆっくりと赤薔薇の中から微笑み返した。笑う以外に、どんな表情をしていいのか、知らなかったからだ。 しっかりと繋がれた指が、強い力でひかれて、サガはそのままその赤い茨の檻から抜け出した。はらはらと、赤い残骸が金糸の髪に混じって散った。 その手を、彼がさいごのさいごまで離さなかった事を、サガは知る。結局サガの絶望は、彼がこの世界に生まれ落ちたその瞬間から始まっていたのだ。出逢わずにいられるはずなかったのなら、矢張り生まれてこなければ良かったのにと、そう思った。こんな最期を迎える為に生まれてきたわけではないのだから。 彼の赤い体を抱きしめながら、そう、思ったのだ。 生まれてこなければ良かった。 (071130) |