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もし、このまま消えてしまえば、一体、何がこのてのひらに残るのだろう。 * こぽこぽ、こぽこぽ、泡のように儚く、でも無邪気で綺麗なメロディー。 強く掴んでしまえば、きっとすぐにはじけて消えてしまうのだろうと思った。 優しいヒトが紡ぐ、安らぎに満ちた子守唄。 しかし、少年が扉を開け、中へ入ろうとした瞬間にその歌声はふっと消えてしまった。 勿体ないと思いながら、アイオロスは苦笑する。彼らしいとも、思った。 「ただいま、───…って、なんだこれ」 「おかえり、アイオロス。見ての通り、皆疲れて寝てしまったよ」 「……誰の宮だと思ってんだが」 足下に転がる子供一人、二人拾いながら、部屋の中央で更に子供に囲まれながら座る人のもとへとむかう。両腕に抱えた子供の体温は、冷たい夜風をあびながら帰ってきた少年に丁度良いぬくもりを与えるが、黄金の子供達全員が人馬宮でぐーすか寝てるとは一体何事なのか。あのデスマスクさえ無邪気な子供のように寝てる! 「明日は、お前の誕生日だから…一生懸命プレゼントを作っていたんだ。散々騒ぎながらやっていたが、お前の為だ。許してやってくれ」 「…ああ、この宮の荒れっぷりをってこと?」 膝の上に、子供2人分の頭をのせながら(そしてその頭を優しく撫でながら)サガがくすくすと笑った。他の子供達はカーペットやソファの上でまるで行き倒れの何かのように転がって寝ている。暖かな毛布にくるまれながら。幸せそうな寝息。 両脇の子供をソファの上にちゃんと寝かしてから少年がふと、サガの膝で眠る子供の一人をみて微笑んだ。アイオロスの弟だ。 「どうした?」 「……リアの、そのぎゅって握ったこぶし…、なんかさ、赤ん坊の頃よくしてたなって」 クレヨンを握り締めたままの小さな指を見つめてサガも小さく笑む。少年が赤子を連れて戻ってきた日の事を思いだしたからだ。彼と一緒に泣いてしまいたかったあの日。 「あのかたく握り締めた手の中に、一体何がつまっていたのだろうか。もう今はないけれど」 今あるのは、兄の為にせっせと似顔絵を描こうとした名残だけだろう。クレヨンを優しく取り除いてやりながらサガはそう思う。それを見つめていたアイオロスは、微笑みながら答えた。 「夢とか未来とか愛とか…そんなまっさらで尊い何かがつまっていたのかな」 少年のその言葉に、ふっとサガが顔をあげ、数度目を瞬かせた。アイオロスといえば、その蒼い瞳が矢張り綺麗だなと思うばかり。 だから、不意にその手がのびきて、傷痕ばかりが増えた指を掴まえ、更に彼の唇へ引き寄せて甲にキスを落されるまで…、アイオロスはその動作全てを目で追う事しかできなかった。無意識にぎゅっと握られた手の甲に触れてきた柔らかな感触。ほのかな熱。 「…お前のてのひらの中には、まだそういうのが残っていそうだ」 寸前わずかに表情をゆがませた事などなかったかのように、サガは綺麗な笑みをつくりながらそう呟いた。一瞬だけ見たような気がした赤い瞳もまた、すぐに消えてしまう。 (…その色さえも、どうしようもなく愛しいのだといえば、) ───そっと顔を近付けても、拒まれなかった。 だからそのままアイオロスは、蒼い色が隠れる瞼の上に唇をよせる。触れて、離れてから。 「……………アイオロス…さっきから思っていたが…冷たすぎる」 突然柔らかな毛布を頭の上からぽふっと被せられた。 「薄着のまま、こんな遅くまでふらふらしてるからだ。風邪をひいたら情けないぞ」 「………俺はこんなさっむい夜に産まれたから、平気なんです」 「うそをつけ」 二本の厳しくも優しい腕を毛布越しに感じながら、少年は目を閉じた。誰かの両腕で、暖かな毛布ごといっぺんに抱きしめられるそのぬくもりと感触。 (こんなささいな事でさえ、とても幸福なのだと知ったら、彼は笑ってくれるのだろうか、…泣いてくれるのだろうか) 膝の上の子供達を潰さぬように注意しながら、でも互いにぎゅっと、はなれないように抱き締めあった。ぬくもりが1つになれる事を祈りつつ。 小さな世界でサガがそっと笑う。 「さようなら、13歳のアイオロス。14歳の君の翼にもたくさんの祝福がふりそそぐように」 ああ、と祝福された少年は呟く。時計が30日になった事を教えていた。誰よりも早い祝福。 「…君の魂も、永遠に輝き続ける事を」 黄金聖闘士に任命されてから幾度となく繰り返された2人だけの、誓い。 いつからだろう?その言葉が何かを確かめあうように紡がれるようになったのは。 目を瞑っていたから、少年がどんな表情でその言葉を告げたのか判らないまま、アイオロスは静かに額を彼の肩におしあてた。 それでも今、このちっぽけなてのひらの中に何かあるとしたら、そこには君がいたのだと思う。それだけが確かにいえた。 …君が、いたのだ。 *** ある日を境に祝われなくなった誕生日。 特に何かあるわけでもないのに、それでもデスマスクは毎年その日その場に訪れ、一日中寝転がっていた。冬だというのに美しい花々が咲き誇る園。仕事をさぼり、煙草をくゆらして、彼は他に何もせずに空を見上げていた。同僚の一人も朝早くに薔薇を、もう一人は星降る真夜中にそっと訪れているのを知っていたが、その事について一度も話をした事はない。 しばらくすると(これも毎年の事だが)重たそうな全てをひきずった男が一人やってきた。先客に声をかける事はしない。がちゃがちゃと音をかなでる豪奢な首飾りは途中でひきちぎって放っていた。花であふれた世界の中心で何もいわずにたたずむ。 何年も前からそこには、かつて彼らの世界の大切な一部だった人が眠っていた。 風が優しく、その金糸の髪をさらっていくから、…まるでそのまま奪われるんじゃないかと思うほど、その男自身も空を恋うようにみつめているから、思わず、青年は口を開いた。 「あんたのまわりの風はいつだって優しいな」 振り返った美しい人は、ふっと微笑んだ。その手の中に握り締められていた花弁は、風があっというまにさらっていって、何も残らなくなる。何も。 あるはずのない永遠が、此処には存在し続けていた。 この胸にあいた虚空は、でも、彼が確かに此処にいたという証。 ろまんちっく・めもりー (061128) |