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紅のラプンツェル8 掌の中に、確かにあった月のかけら。 それは、幻の様で、幻でない。 この胸に、眼に、確かにあの日の喜びと記憶が、残っているから。 …幻ではない。 あそこには確かに、アイオロスと、ラプンツェルではないただのサガがいたのだ。 夜になっても、彼は訪れなかった。窓辺から、一人月を見上げる。 月を見ながら、待とうと思った。 『…今日は、いつもの様に歌わないのか。ラプンツェルの唄を。』 「………歌わなくとも、彼が来るから…。」 『アイツはもう来ぬ。他の奴を、誘い出す為に歌え。』 「────どういう事だ………?」 くつりと笑う気配。サガが、ハッと辺りを見回した。 隅の方に、月光をはねて煌めくモノがある。 それは、───血のついた短剣。 「……お前っ!」 『あきらめろ。何の為に、この塔に茨が張り巡らせてあると思う?「その為」なんだ。』 遅いと判っていながらも、サガは窓の下を身を乗り出して、見た。でも、月明かりに照らされた茨の何処にもそれらしい姿はない。でも、血は、確かにある。 『さぁ、ラプンツェルの子。あの男の事など、一夜見た幻と思い忘れろ。新しい獲物を得ようではないか。それが、ラプンツェル。ラプンツェルの性。』 脳内に直接響き渡るかの様な声に、でも、サガは首を振る。知らず知らずのうちに、手が耳へとのばされた。 確かに、そこには、硬い感触。石榴石の、冷たさ。 ─────あの日の、確かな、証だ。 「……違う、私はラプンツェルではない。」 『何を云うか。その美貌、その美声、そして、長く美しい髪!全て、ラプンツェルの祝福を受けた者の証ではないか!』 「────違うっ!私には、彼がくれた名がある!確かに、此処に在る!」 夜明けを、共に迎えた。何度も迎えた。最後に見た夜明けが一番美しかった。陽がのぼり、その緑の瞳を照らそうとも、一向にその体は砂にかえらなかった。 自分を、一人取り残していく事がなかった。 「サガ」と呼んでくれた。何度も、何度も。幻とならぬ様に。 「私の名は、サガだっ!」 激情を叫んで、窓枠に手を置く。そのまま、身をのりだそうとして、──でも、何かに髪を引っ張られた。 …長い髪の一房が、石の煉瓦でできた壁の間に挟まっていたのだ。 ああ、そう、あの神父が出ない様にと、やったのだ。 「………でも、もう、どちらにしろ、此処にはいられない…。」 神父は、告げた。 此処から出てはいけないと。誰でもない、自分が不幸になるのだと。ラプンツェルは、誰からも愛される。その呪われた美貌によって。でも、────もし、その美貌がなくなれば? 「……たとえ、失おうと……もとから、私は厭んでいたのだから…良いのだ。ラプンツェルは、孤独だ。触れる者、全ての命を奪わねば生きては生けない。いらない。なら、私はいらない。彼からもらった名と、このピアスがあればいい…。」 『───そいつは、もう生きてはいないのにか?』 「ラプンツェルとして孤独に生きるよりは良い。…それに、彼の心は、此処に在る。」 血のついた短剣を手に取り、そして、サガはその長い髪を切る。 切れば、切る程、その髪にまとわりついていたラプンツェルの呪いが解放されていく。 散らばる幾筋の髪の残骸を残して、…ためらいもなくその窓から落ちた。 美しい花が、散っていく様に…。 紅い闇の終焉も、また同じ時だった。 神父シオンは、最後に呪いをかけた。 生かしておけば害のあるラプンツェルの子を殺さず、でもだからこそ、かわりに呪いをかけたのだ。ラプンツェルの子が、この塔からでれば、その魔力が消え去る呪いを。でも、魔力の証である美貌が消えれば、子には何も残らなかった。家族も、何も。美貌がなければ、誰もが慈しまない。一人で、子が生きられるわけない。 それでも、神父は、判っていても殺さなかった。神父の娘の産んだ子が、ラプンツェルの祝福を受けた子だった。 よたつく足で、それでも薄暗い森の中を歩いた。空の端からはすでに、紫色の片鱗が見える。もうすぐ、いつもの夜明けを迎える。 今のサガの姿は、見るのも無惨なものだった。白い肌は泥と血で汚れ、白い服もまた同じにぼろぼろで、腰ほどまでにきられた髪はあの艶やかさをなくし乱れている。泥と血でまみれたサガを、誰が以前の美貌のラプンツェルと思おうか。顔の造作はさほど変わってはいないが、あの不思議とヒトの眼をひく美は消えた。 ただ、あの頃のまま、その双眸の天空の蒼さだけは変わらなかった。 そして、その片耳のピアスも。 やがて、森をぬけると丁度、昇りゆく太陽王を見る。こごった闇も、胸にかかる靄も、何もかも───その全てを否応なしに洗い流す…強い光を。強い輝きを。 気付けば、サガは一人で歌い始めていた。喉はつぶれ、普通に話せはできるが以前ほどの美声、聞き惚れる様な歌声ではなかった。それでも、歌った。彼を思い出しながら、太陽王にむかって、歌った。 塔の外は、本当に広い世界で、今なら判ると思った。空の果てというのが。どうか、その空の果てまで、この声が届けば良い。きっと、果てに彼はいるだろうから。 一人で生きていけると思った。 この心には、彼がいるから。サガである証ももらったから。 彼からたくさんの温もりをもらったから。だから、生きようと。 「────その歌声は……サガ…?」 歌声が、不意にやむ。サガが、驚いて後ろを振り返る。蒼い眼をこらして、見た。見えた。 「………アイオロス……」 「ああ、やっぱり、サガだ。」 嬉しそうな笑顔を、見忘れるはずがない。サガは駆け寄った、アイオロスがその背に腕をまわした。互いに血泥にまみれていた。それでも、愛おしすぎて離してしまえなかった。 「何で、判ったんだ?私は、塔をでたから…以前の様ではないのに…歌声も、あんな下手な…。それに、私は…ヒトの眼を惹く美しさというのを失ったし…あと…、」 「何が起きたか判らないけど…俺は別にサガの綺麗さに惚れたんじゃない。美声だから見ていたんではない。知らなかったのか?それに…俺は今、眼が見えないんだ。」 サガが驚いて、顔をあげようとするが、アイオロスの手がそれを阻んだ。 「アイオロスっ!それは…アイツが…、お前を塔の茨に落としたから…だからっ…!」 「─────サガ。」 優しい声音に、サガは口をつぐむ。ただ一つの名。彼がくれた名だ。 その名が、自分を此処に在らせた。ラプンツェルの呪いから抜け出させてくれた。 「俺はこんなだけど、それでも良いのならさ、」 そう紡ぐ、彼の瞳の中に以前の様な美しい緑柱石は見えない。それでも、何も変わらなかった。何も。片方だけの紅いピアスが永遠の証を守るのと同じに…。 「一緒に、何処かで暮らそう。」 二人の視界の端には、眩い太陽の光がその全貌を露わにしていた。 触れてはいけない、ラプンツェル。 触れる事は、禁忌。 それでも、触れたいのならば、ちゃんと触れて。 うわべのものだけじゃない、その草の下に眠る本当の花を見つけてあげて。 ラプンツェルの真実は、そこに眠っているから。 end. (040710) |