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ひいては、よせる。さざ波。揺らめく海の果てでは、最期の光で世界を紅く染め上げようとしている太陽。静かな、夕暮れ時。小さな波の音と、しゃりしゃりと砂浜を歩くヒトの足音だけ。俺は少し離れて、前を歩くそのヒトの足跡をみながら歩いている。 全てが劣化して、朽ち果てていきそうな、…そんなぬるい時間。 「教皇。そろそろ聖域に戻られないと、皆が心配致しますよ」 何処に行きたいわけでもないのにただ歩いているだけの法衣をまとったヒトへ、そうわざとらしい口調で告げる。この静かな夕暮れ時にはいささか不釣り合いだと思った、自分が。 この儚い、全てが死んだかのように静まっている世界に、自分はあまりにそぐわない。それでも、引き返そうとは思わない。 かのヒトは、振り向く事はせず、ただ歩く。しゃり。しゃり。裸足の足に海水が絡みつくようによせて、ひきずるかのように去っていく。そのままこのヒトは海に引き寄せられてしまうんでは?と時々思う。 陽に透けるさらさらとした色素の薄い髪、籠もっている為青白い肌、儚い気配、そして今はみえないあの寂しげな蒼の瞳。その全てが海をも魅せ、いつかさらってしまうのかもしれない。 儚く美しい者はいつも神に愛される。 その時、このヒトは喜ぶだろうか悲しむだろうか。 海水が踊る。夕陽の欠片が水と混じって、きらきら舞う。 彼がふと立ち止まって、海の彼方を見つめた。 「………………」 唇は確かに何かを紡ごうとしていたのに、とまる。空回り。云いたかった言葉は空気に霧散していった。彼が何を云いたかったかなど判らない。 ただ今はその儚い横顔が、夕陽に照らされて素直に綺麗だと思う。 夕陽が死に逝こうとしている。 いつも彼はそれだけをみる為に此処に訪れる。それを自分だけが知っていた。だから、いつもその後を追う。追ってきて、でも何もしない。 そして、彼は一度もこちらを振り向かないから、この瞬間俺がいつもどんな顔をして彼を見ているのか、 彼は知らない。 「サガ」 名を呼ぶ。呼んで、手をつかむ。冷たい、手。掴んで、だからといってどうする事もない。ただ、何処かに去らないように手をつかむ。ただ、それだけ。 海に行かないように。ただ、それだけ。 海に太陽は還るが、彼が還る場所は違うから。 ──昔昔、はるか昔、こうして手をつなぎながら、彼は「還りたい」と呟いた。夕陽を見ると何処かに帰りたくなって、でも帰る場所なんてない事に気付いてしまうから寂しいのだと。 もう何度もこうして、彼の手をつかんで握り締めた。あの日から、何度も。儀式かのように。死んでいく夕陽をみる彼の手を掴みながら、自分はただ足下をみる。自分と彼の足跡はもうすでに海が消してしまった。そうやって、全て、消えてしまう。 確かなのは、このつないだ指先だけ。 時々、この全てが疎ましくなる。 疎ましくて、うんざりしていた。 何もかも、全て。自分をとりまく全て。こうやって、彼といるときいつもそう感じる。この瞬間。いつも。 彼といると、何もかも虚しく思う。 「……帰りたいのか、」 今日、初めてそんな言葉を紡いでみた。うんざりしすぎて疲れたのかもしれない。らしくもなく、気付けばその言葉が口からもれていた。何処に。 いつもと違う言葉に。心底嫌気がさした声音に。サガがようやくこちらを振り向いた。澄んだ、蒼の瞳。澄み切って、こころの見えない。 …寂しいとも、何とも感じていないような。一度も紡げずにいた彼の唇がゆるく弧を描いて、今度こそ静かに音を紡ぎ上げた。 「…お前は?」 思ってもみない言葉に、苦笑した。くっと笑う。本当に可笑しいと思えた。 13年間、こころを閉じたヒトだった。傷はみえてもすぐに隠す。触れようとすれば、消えてしまう。罪の在処なんて誰もが知っているというのに、それでも覆ってしまう。なのに、今更。血や傷とかそんな莫迦らしいものじゃなく、言葉で、彼が「こころ」を返した。 だから、自分も素直に答えた。波の音が、きこえる。 「帰りたい場所なんて、全部あんたが奪っちまったじゃないか」 他の誰でもない、昔々この儚く美しいヒトが手をひいて「帰りたい場所」へと俺を連れてきたのだというのに。手酷い、裏切り。それでも、未だ、自分はこの手を握っている。 太陽は一度死んで、生まれ変わる。再生。神の息吹がかよう場所には必ず「再生」という言葉があるのだという。ならば、あの風の青年はどうなっただろう。一度死んで、再生できたのだろうか。何処へ? もし、永遠があるのならば。 それが、一人の人間の生きてから死ぬまでなら。 きっと、あの風は、その人間の中の…永遠で蘇ってしまったのだろうと思う。 ああ、なんて…。 「もう、戻る」 ぽつりと告げられる。気付けば太陽はすでに沈みきっていた。もうここにいる必要はないのだ。彼にとって。既にその暗い眼は、聖域を見据えている。もう必要ない手は、だから離してしまった。にげてゆく、感触。それが、少し苦い。 金の髪がさらりと視界を奪う。しゃり、しゃりと砂を踏みしめ行く後ろ姿を見つめながら、想う。多分、明日も此処に来るだろうと。終わる日なんてこない。 それはきっと「永遠」が終わる日と同じ。永遠が終わるという事は、それは。 手を、明日も繋ぐと想う。 繋ぎ止める、過去を。 つないでいる時だけ、過去のあの、忘れがたい世界を思い出せるから。互いに。だから、彼はいつも自分を拒まない。 互いの指先の温もりだけが、それだけが、今は少しだけ救いのようなきがした。 帰る場所なんて、ないから。もう。 088. あこがれ (050805) 英雄にあこがれてる。今も、昔も、ずっと。 |