ぽたり、ぽたり…

神殿内に響く水滴の音。
どこから聞こえてくるのだろうと考える前に、ムウはその音源を見つけた。

「─────サガ…?」

柱の影に隠れる様にして座り込むのは、紛れもなくサガだった。
しかし、金の髪は乱れ、彼は胸を押さえながら、苦しげな呼吸音を発している。
────そして、その傷ついた手から、鮮血の赤がしたたり落ちていく。

ぽたり…

石畳の床に落ちて、幾つもの血溜まりを残していた。

「サガ…怪我したんですか?」

足早に近寄り、その肩に触れようとした瞬間。

「触るな」

低い、でもかすれた声とともに、手が振り払われた。
普段とても優しいサガを知るムウは、眼を丸くして、驚く。
サガは荒い息を吐きながら、こちらを、睨み付けた…。

「………早く、此処から立ち去れ…」

去らねば、殺すと…その瞳が告げる。
瞳は────したたりおちる血と同じ色をしていた。

ムウは云われたとおり、その場を離れた。駆け足で、逃げた。


『赤は、血の色だ。血は、死を導く。
だから、赤は古来から不吉な色とも云われてきた。
青は良い。眼に良い。そして、世界を包む空と海の色だから尚良い。
黄もまだ良い。遠い異国の王は黄帝とも云う。害はない。
だが、赤だけは駄目だ。アレは危険な色だ。色自体が強すぎる。他の色を時折喰う。駄目だ。アレだけは、駄目だ。だから、…』



「あ…」

思わずもれた声とともに、手からガラスのコップが落ちる。
そして、案の定──割れた。
きらきらと、光に煌めき、破片があたりに飛び散る。
ガラスは何て脆いのだろうとムウは思った。でも、だからこそ、散り際は光を受け、美しいのかとも思った。世界は、結構、バランス良く出来ているのかもしれない。要は、儚いモノほど、美しいのだ。否、儚いからこそ、美しいのかもしれない。

どちらにしても今は片づけなければならないとムウはかがんで、破片を拾い集めていく。きらきらと、それはまるでカミュが生み出す氷の結晶の様に綺麗だった。
思いながらやっていたからだろうか───ムウの小さな指は、破片の切っ先によって、切り傷を生んだ。

「………いたい……」

これにはさすがにムウも眉根を寄せる。痛みは、誰にとっても平等すぎた。あのシャカでさえ、痛い時は痛いと云う。
傷ついた指を、口に運ぼうとした時。

……ぽたり…

傷からうまれた赤い血玉が、床に落ちた。一度、落ちてしまえば、もうためらいなどないのか、幾度も落ちていく。

ぽた……ぽたた…

やがて、それは、小さな血溜まりをつくった。
赤いソレを、ムウは無感動に眺めながら、ふと…師が云っていた言葉を思い起こす。

『赤だけは駄目だ。アレは危険な色だ。アレだけは駄目だ。だから、……』
──────その瞬間、烈しい悪寒が背筋を駆け上がっていった。

小宇宙が不安定に揺れる。自分でさえ制御しきれない。こんな事初めてで、ムウは声をあげようとした。
声をだせば、幾分そちらに力が流れるという事を師から聞いたコトがあった。
だが───声をあげるよりも先に……、見てしまう。
ムウは、その双つの双眸で、見てしまう。
自分の血からできた血溜まり。
その小さな水面に、水鏡に───今、自分の顔ではないモノが映り込んでいた……。


「………………シオン……さ、ま…?」


血溜まりの中に見えたのは、師の姿だった。
仮面を被った教皇であるシオン。
その体から血があふれ、体が傾いでいく───その様が…。
ムウの眼が、死に行く師の姿を捉えた。

「シオン様ーーーー!!??」

何故、血溜まりに映るのか。
何故、最強とうたわれた師が、あんな姿になるのか。
何故、何故────何故、自分がそんなモノを見なきゃならないのか。

血の水面の中には、師以外にもう一人立っていた。
漆黒の闇よりも深い髪の色をした青年。
あれが、師をこんなめにあわせた人物なのかと、ムウが見た瞬間。

─────赤い双眸と、ムウの双眸がかちあった。

赤い、赤い、血の様な濃厚な紅の瞳。
禍々しい尋常ではない色をした双眸が、
何故だかでも確かにこちらを見据えていたのだ。
殺気こもった…ぎらぎらとした鋭い眼だった。

そして─────……


「……見たなら、お前も殺してやる」


地を這うかの様な低い声音だった。
殺されると、思った。このまま眼だけでも射殺されてしまいそうだった。それ程に、強い眼をした者だった。ムウでさえ、一瞬、足がすくんだ、動けない。
動けない。体が、止まる。



『…逃げろ!!』



その瞬間、脳内に響いた声。
その声が、ようやくムウに正常さを取り戻させた。
……そして、ムウは告げられたまま───逃げ出した。

聖衣や修復装具、とっさに必要な物をとって…と、意外に思考は冷静だったらしい。ただ、ずっと、脳内で警鐘が鳴り響き続けているだけで。
もう、小さな傷などどうでも良かった。
赤い血は、いつのまにか傷口で凝り固まっている。

そして、その血からうまれた水面からは、未だ声が聞こえてくる。


「逃げるか。お前は、またオレの前から逃げるのか。進む先は、何処だ?そんな処、この世界の何処に在るという?何処にいても、オレは必ず、お前を見つけだす」


逃げても、無駄だと、声は告げる。

──────それでも、逃げるしかムウには道がなかった。


逃げろ、逃げろ。
止まってはいけない。
止まれるわけない。
止まらない。
止まれば、あの紅を思い出してしまうから。
その紅に思考を絡め取られ、足は石の様に動かなくなるから。
紅を思い出す前に、逃げろ。
危険を承知で止まらないと決めたならば、もう行くしかない。進むしかない。
止まれと云われて、止まってしまえば、意味がない。

師の血がしめしてくれた意志に意味がなくなる。



『赤だけは駄目だ。アレは危険な色だ。アレだけは駄目だ。だから、見たら、構うな。
────構わず、駆けろ』





077. 赤信号
そして、赤信号に止まってしまったのは、アイオリア。