その夜は、唐突に始まった。
冷たい風がふく冬がやってきた日だった。


身体にかかる不自然な重みと、震える指先を感じて、起きた。
小宇宙で気付かなかったのは…それ程彼の小宇宙に心を許しているという事だろう。

眼を覚ましたアイオロスを見ても、サガはやめる事も慌てる事もなかった。ただ静かにみつめてくるものだから、アイオロスも彼を静かに見つめた。ちょうど覆い被さる様なかたちで、寝ているアイオロスの上にのっているサガのその手には黄金の短剣。窓辺からもれる月明かりがその鋭利な光をみせる。

「何故、お前だったんだ」

いつのまにこの部屋はこんなに冷えていたのか…室内だというのに彼の口からもれた息は白かった。
黄金の短剣から震える手を離さないままサガは言葉を続ける。
視線は交わったまま。

「お前が聖闘士じゃなかったら、良かった。お前じゃなければ良かったのに…」

流れる彼の髪のひとふさが自分の頬にかかる。
彼の匂いがした。喉をつこうと狙う刃から眼を離せても、その瞳からは逃げられない。そらせない。絡み合って、離すのさえ惜しい。

「…殺したいのなら殺せばいい」

そらさないまま、真正面から見つめそう告げた。
…それが自分の今一番の真実だからこそ。

「今しかないのだから…。今しか俺はお前の望みどうりにできない」

だって聖闘士だから。
この体は自分のものであって自分のものではない。女神に与えられた女神の為に使う体。明日には、もう、女神の命を受けて、君を殺さなければならないかもしれない。
でも、明日じゃない今この時は。

「今この身がお前に与えられる全てだ」

他には、何もない。

「──お前はっ…何故、」

つまる声。言葉。苦しげに顔がゆがんだと思った途端、その手から短剣が落ちていった。そのまま首にかけていた十字架の首飾りも引きちぎり、放り投げてしまう。そして、彼が叫んだ。血を吐くような。

「…あと、何を捨てればいい?!役にたたない力か?!つまらない意地か?!くだらない矜持か?!この壊れた心か?!お前の全てというのならば、私は全てを捨ててもいい!だから……」

顔がよく見えない。月が雲に覆われて、世界が暗い。こんなに近いのに、見えない。不安になって、思わず呼んだ。

「……サガ?」
「何故、なんだ…。どうして……お前は、遠すぎる」
「何を、」

あえぐように口を開いたのはどっちだったのか。
金糸の髪の少年がは、と吐き捨てるように笑った。

「お前には一生判らない話だよ、アイオロス」

此処でこのまま、反逆者として殺してしまえば互いにどんなに良かった事か。
そんな道が残されていたのに、選ばれる事はなかった。

「サガ」
「いくら捨てても、お前には近づけないという事か」
「サガ」
「アイオロス、」

どうすれば、お前に触れられる?

「─────…」
「お前は、遠すぎた」

(姿形がよく見えないから触れられない。触れるのをためらう。恐い。それ程に眩しい)

あと、何を捨てればいい?

「…俺は、間違ってしまったのか」

片手で顔を覆いながら、うめくように彼が呟くから、サガも静かにそっとささやき返した。目を覆ってしまったから、青い瞳がどんな色を宿していたか知らない。

「互いにな。間違いすぎた」

もう、全ては遙か彼方。空の果て。

「………でも、最後に一つだけ云わせて」
「何だ」

ゆるゆると手をのばす。もう、きっと、届かないものにむかって。目は瞑ったまま。

「何を捨てても変わらない。どれか一つでも欠けてしまえば、それはもうサガであってサガではないのだから」

だから、何も捨てないで、君は君のままでいて。

その頬に触れながら、そう告げる。
でももう何もぬくもりが感じ取れなかった。ただ、冷たく、感覚もなくなる夜だから。




069. 冷たい夜 (041009)