───これは、俺達だけの秘密だよ。

少年はそう云って、楽しそうに微笑んだ。


***


傷を癒そうとのばしたサガの手を、ムウは拒んだ。
その手を恐れるかのようにびくりと小さな体を震わせ、一歩後ずさったのだ。その子供にそんな態度をとられたのは初めてで、サガの手は所在なさ気に宙で止まったまま。

「…足、怪我したのだろう?せめて応急処置だけはさせてくれ」

子供と同じ目線まで膝をついたサガが困った様に微笑んで告げても、ムウはぷるぷると首を振るのみ。周りの子供達はそんなムウをきょとんとして見つめた。サガのヒーリングは優しく温かで心地がよい。皆いつも好んで受けていた。この牡羊座の子も。

「…そうか。じゃあ、一緒に宿舎に戻って手当てしよう」
「一人でいきます」
「満足に歩けないのに?」
「……………」
「ムウ…」

頑なな態度をとられ、サガは気付かれないように小さく息を吐く。どうしたものかと考えている時だった。

「おい、どうしたんだ?みんなして」

後ろから聞こえたいつもの声に、サガが「丁度良かった」と振り返る。射手座の少年がきょとんとそこに立っていた。


***


「なんか、サガとあったのか?」

普段弟にもやるようにムウに肩車をしてやりながら宿舎に行く途中、アイオロスがそうたずねた。ムウは小さな首をふるばかり。

「嘘つけ。昨日まではあんなにサガにべったりだったくせに」

おかげで俺は厄介払いされたし。
そう告げても、ムウはやっぱり無言で口をとがらすだけだった。

「サガも心配してたぞ」
「…………」

長い沈黙の後。ムウがようやくぽつりと口を開いた。

「…………夢を、見ました」
「夢?」
「真っ暗な世界で、サガが一人立ち尽くしている夢です」

子供のその真摯な声音に、一瞬アイオロスの瞼裏にもその様子が思い描かれた。
何て寂しい世界だろう、それは。
悲しげな顔で佇む彼の姿しか思い浮かばない。なら、何故一人でいるのだろう。

「…あまりにも鮮明だったので…シオン様にも教えたら、それは予知夢だと云われました。いつか起こるべき避けられない未来だそうです。………それをサガに伝えようかと思ったのですが…どうしてか云えなくて…」

そうしたら、ぎこちない態度しかとれなくなってしまいました。
徐々にしぼむ子供の声に、アイオロスが大丈夫だよと声をかけて宥める。

「牡羊座の加護を受けるものは、夢に未来を視るのかな。俺も、教皇さまの予知夢ってのを聞いたよ。つい最近」
「シオン様はどんな夢を視たのですか?」
「俺が、サガに殺される夢」

何気ないように少年はそう告げた。ムウはきょとんとする。冗談かと一瞬思う程、彼はいつも通りのふうだった。風が吹いて、ムウの髪をさらさらなびかせていく。
嘘だよと、笑って告げる彼を待ったが、いつまで経っても彼はそうしてくれなかった。ただ、言葉を続けた。

「このまま続けるのなら、駄目になるって。いつか、確実に。俺がサガをそこまで追いつめるのかな。よく判らないし、未だ信じきれてない。だって、未だサガは俺の目の前にいて、傍で笑っているんだ。くだらない冗談いいあって。時々怒られて、でも確かに温もりは感じて。…未だ、俺は生きていて、何も変わっていないように思えるし、これからもそう続いていけるようなきがしてる」

それじゃあ、駄目なのかな。
小さな呟きは次に吹いてきた風にかきけされてゆく。ムウの今の位置からは少年がどんな表情をしてそう云うのか判らなかった。

「でも、ムウの夢聞いて、思ったんだ。そんな未来、嫌だって。俺を殺しても、そんな寂しい顔しかできないのなら、そんな世界しか生きられないのなら…。俺が、嫌だ。そんなんじゃ、死んでも死にきれない」
「……アイオロス、」
「だから、取引しようよ」
「え?」

そう云って、アイオロスがムウをおろす。そのままかがんで、二人の目線があうと少年はにこりと笑った。でもそれは少し悪戯めいたもの。

「これは、未来の牡羊座の聖闘士と、射手座の聖闘士の間だけの秘密で、約束だ」

少年はそっとムウの耳元に顔をよせ、小さな小さな声でささやいた。
二人だけの秘め事を──────。


「君の夢を、俺が買うんだ」


***


それからしばらくして、牡羊座の候補生の子はまた未来の夢を視た。
それがいつ起こるのかも判らない。遠い未来なのか近いそれなのか。
子供はただ、未来の断片を垣間視る。
影一つなく光あふれる世界で、12人の眩い光の衣をまとう闘士たちの夢だった。知っているような顔もいたきがしたがよく判らない。はっきりと判ったのは、その集った光の中心にあの射手座の闘士が立っていて、その傍らに双子座の闘士がいたという事。二人とも強い眼差しでどこかを見つめている。
光の中。あまりにも眩しいせいなのか、ムウは泣きながら目覚めた。

「………アイオロスに、教えなきゃ…」

夢を買うと、彼は云った。もし次にムウが予知夢を視れば、その夢を買うのだと。
それが、少年と、あの蒼い双眸をもった少年にとって良い夢ならば。
他人の夢を買うと、それが現実になるという中国の教えからだった。

だから、どうか希望のある未来を夢視てくれとあの日頼まれた。

ムウは、走った。アイオロスのもとへ。サガがもう寂しそうな顔をする必要なくなるんだと伝える為に。二人でともに立つ未来もあるのだと。すれ違いの末アイオロスが死ぬという、悲しい未来は覆されるのだと。
今までと変わらず二人はこの聖域で自分達を見守り、導いてくれるのだと…。

ムウは懸命に12宮の階段をあがっていった。



057. 約束 (050220)
次期教皇が決められた日に。結局、伝えられませんでしたというオチに続く。