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019. 振り向かない背中 ────…出せ! ────オレをここから出してくれ!! 荒れ狂う波音が、その叫びをかきけしていく。 頑丈な岩と、かたい波がぶつかりあう、その激流の最中。 それでも、声はやまない。 ────力あるモノが欲しいものを手に入れてどこが悪い! ────神が与えてくれた力を自分のために使って何故いけないというのだ! 苔の生え、海水によって変色している鉄の棒を掴んで、叫ぶ。 白いマントを翻し、背を向け去っていくヒトへと向かって。 必死になって、叫び続けた。 ────サガよ!オレはいつもおまえの耳元にささやいてやるぞ! ────悪への誘惑を!! 蒼い空に、金の髪が揺れる。波飛沫の合間から見える背のヒトは、その言葉にぴくりと反応をしめす。 ……だが、足は止まる事なく…彼は本当に此処から去ろうとしていた。 ────サガよ!お前の正体こそ悪なのだ!! 声は、…もう届かない。 半身である彼は、もう二度と振り向いてはくれなかった。 ずっと兄の背中を追い続けていた覚えがある。 小さい頃からずっと。 気付けば、傍には兄しかいなく…ひかれる手に従うまま聖域に来た。 兄は、いつも一歩前を進んでいた。 オレの手をひいて。 手を、ひいて────二人で。 「………サガ……?」 ヒトの声に驚いて、カノンは飛び起きた。 いつのまにか眠っていて、もうすでに肩付近にまで海水は浸食している。 あたりは暗く、夕陽の片鱗であるオレンジ色の空が牢屋外、わずかに見えていた。 その牢の前に、今、誰かヒトが立っている。 ───兄、ではない。 「……………誰だ、貴様…」 聖域のヒトに自分という存在を知らせてはいけない…そう昔から云われ続けたせいか、体は自然、相手から離れようとする。背が、ごつごつとした岩壁にあたった。 牢屋の前にたたずむ人物は、暗がりでよくは判らないが、こちらをじっと見ているコトは確かだ。 「……君……サガ、じゃない……な」 「──────」 「何でこんな処にいるんだ。もうすぐ陽が沈む。沈んでしまうぞ」 青年は鉄棒をがしがしと手で揺らす。だが、さび付いた音をだすだけで壊れる気配はしなかった。それでもあきらめず彼は、何度も何度も鉄棒をたたく。 彼は、サガを…兄を知っている…。 「……誰だ、と訊いている…」 「?…ああ…すまない。オレは、聖域の者だよ」 笑う、気配だけが届く。カノンからは、それが青年だという事だけしか判らなかった。相手は、此処からだと黒ずんでいてよく容貌がつかめない。 「……びくともしないな」 「此処は、神力の及んだ牢だからな」 「牢なのか、此処は」 「牢だ、此処は」 「何か悪い事でもしたのか?」 「…………さぁな」 そっぽを向けば、苦笑された。 「だが、さすがにこの牢は酷だ。死んでしまうではないか」 「殺したいんだろうよ」 「……教皇に云ってこよう。どうにかして下さるかもしれない」 「─────余計な事すんな!」 突然の怒鳴り声に、青年は驚いて首を傾げる。 「……しかし、」 「いいんだ!別に……オレは……!」 一瞬、瞼裏に映し出されたのは…去っていく兄の姿。 振り向かない、背中。 「……………オレは、此処で……兄を待っているんだ……」 振り向いてくれなくても、それでも。 それでも、待っていたいと思うから…。 ………ああ、そう……待っていたいんだ。兄を。 「…そうか……、でも、せめて此処から出て、外で待ってろ。お前がどう云おうが、オレは此処でお前を見捨てる事はできない。今から、教皇のもとへ行ってくる」 返事もきかず、飛び出していく青年の背に、思わず声をかけた。 ずっと、ひっかかっていた事を。 「っ…!おい、お前!何で、オレを『サガじゃない』って云ったんだ?!」 牢の奥の方にいたからなのか、それとも───。 今まで一発で見分けられた事がなくて、だから気になったのだ。 彼は立ち止まって、肩越しにふりむく。 「だって、君はサガじゃないんだろ?だから、サガじゃないって云ったまでだ」 そう云って、星明かりの下、彼は駆け出していった。 涼しい夜風が、その瞬間カノンの頬をなでていく。 唐突に現れ、すぐに消えていった人物。 まるで風の様だと、カノンは思った。 「………何なんだ、アイツは…」 でも、もうその青年は帰ってこなかった。その日、聖域のある方角から烈しい小宇宙のぶつかり合いを感じ……そして、一つの星が落ちたのをカノンは牢屋の中から見た。 そしてもう青年も、兄も帰っては来ぬのだと、判った。 真っ直ぐと姿勢よい兄の背を、懸命に追った。 追って、追って、あと少しで届くという処で────ようやく兄が立ち止まった。 そして、こちらを振り向く。 振り向いた兄は、微笑んでいた。 「───カノン」 こちらにさしのばされた手に、カノンは重ねようとした…─── 夢の中で。 end.
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