迎えにいってあげてください、
そう微笑んだ美しい少女が、13年も前、自分の憎しみの対象であった。いや、対象ですらなかった。その存在を信じてすらいなかったのだ。最も神に近い場所にありながら、俺達兄弟がみっともなく抱き合いながら汚い顔で泣き喚いた夜でさえ、神を侮辱する言葉を吐き、兄の顔が蒼白になった夜でさえ、何も、神は答えをしめさなかったのだ。街の奥へといけば、平気に神の教えに背く行為が日常の中に組み込まれていた。
その事実から必死に目をそらそうとしていたのは兄だった。

幼い頃、2人同時に双子座の力に目覚めてしまった俺達は、俺の信じていない神の名を理由に、シオンによって引き離された。何故、別々に監視されなければならなかったのか、特にシオンは俺に他の聖衣を与える事すらせず、奴が俺の中に何を見ていたのか知らないが、理不尽な状況に日々怒りを募らせていた。本来あるべきはず自由、家族、未来、それらを奪われたに等しかった。
まだ子供でしかなかった俺達に「聖闘士としての使命」を説かれても、納得できるわけなく、それを絶対的な信仰とするには、理由がなかった。 俺達は、2人で生き延びる為の術として、聖域に訪れたのだから。

聖域の閉鎖的な考え方も肌にあわず、俺はよく街に降りていった。徐々に行動が行き過ぎ、地下牢に閉じこめられた。俺がそういう事になるといつも必ず兄が慌てて駆けつけ、時間が許す限り、傍にいてくれた。風呂の時間を削って逢いに来てくれていた時よりも、牢屋にいる時の方が長く一緒にいられた。

「私はいつでもお前と一緒にいるから、」

そう云って、牢屋越しに抱きしめてくれた。兄の心臓の音がゆっくりと聞こえ、未だ幼い俺は泣きそうになったが、これは泣く理由にならないと涙をひっこめた。
街と牢の往復。いつまでこうした生活を強いられるのだろうか、俺には想像もつかなかった。ただ、あまり遠くの街にいってしまえばもう兄に会えないと思い、結局聖域に自分から戻る日もあった。
教皇が、俺の存在を持て余しているのは明白だった。あの仮面男が何故さっさと自分を捨てなかったのか、今日までこうして温い罰を受けさせていたのか、まさかこれが彼の捨て切れぬ「情」なのならば、笑ってしまう。
俺はそうして、世界の隅で生きていた。



過去を、思い出すのは久しぶりだった。次次とわきあがってくる過去の情景を振り払いながら、躊躇う事なく歩を進める。墨で塗りつぶしたかのような空の下、不気味な程色鮮やかに咲き誇る花畑を進む。ああ、こんな場所だからいらぬ事まで思い出すのだ。

「…君が、カノン?」

その瞬間、風がそよぎ、花々が揺れた。振り向くと、立派な黄金の聖衣をまとった男が立っていた。

「教皇から全部聴いているよ。今では女神が一番信頼している者だとか」
「…あんた、誰だ?」

握手を求められたが、そう口にすると、男は微苦笑し、手をひっこめた。何を躊躇うのか判らないが、俺には関係のない事だ。

「君は、君の意思で、聖域に戻ってきた…。聖闘士は…、特に俺なんかは、自ら彼処に辿り着いたわけではない。俺達は置かれた状況の中で、それぞれの選択をした。もちろん、それを後悔した事などはないが、……だから君は、今の位置を自分で勝ち得た事に俺は……そうだな、何と云えばいいのか、胸のつかえがとれたきがする」

何がいいたいんだこいつ。

「用がないなら、俺はもう行くぞ」
「───俺も、彼も、過去のあの時間が今をつくってしまったけど、『これ』で過去は死んでしまったのだから、今の時間で新しい道をつくろう、」

そう、伝えて欲しいんだ。
驚いて今一度振り返ろうとするより先に、掌が視界をふさいだ。

「…俺の名前はアイオロス。射手座のアイオロスだ」

そして、風だけが残った。



最悪な夜があった。 ぐちゃぐちゃな兄が、ぐちゃぐちゃなまま牢にきて、暴れたのだ。突然の事で、俺もわけがわからず、宥めようとした手は奪われ、そのついでに唇も噛まれた。
どうして、同じ胎から生まれた体同士で交わろうという事になったのか、今もよく覚えてないが、とにかく、兄は深い後悔と絶望に苛まれていた。
最中、「どうしてあんな奴などと、」と繰り返し呟いていた。繋げた後は、ひたすら俺に謝っていた。「お前に酷い事をしてしまったんだ」と、今のこの状況の方が俺にとっては辛いきもした。
落ち着くと、今度は首を絞められた。散々だ。
「…お前はきっと1人で生まれたら、私よりもすばらしい人物になれただろうに…」
ずっと一緒にいるといったのは、兄のはずだった。
昔から、そう、兄は勝手だった。勝手に物事を決めて、勝手に絶望してる。
その兄は、「お前を裏切った」「お前との未来の事だけを考えてればいいのに、」「私は」
アイオロスに抱かれたんだ。

なんだ、そんな事か。

兄の告白とともに、首に絡まる指の力が緩まったから、その指を丁寧にはずす。そしてそのまま、涙をこぼし続ける人を抱きしめてやった。いつかの夜のように、一緒に大声をあげながら泣いてあげようかと思ったが、もう何の慰めにもならないと気付いていた。
(そもそも、俺はそんな聖域での未来を望んじゃいない。次期教皇も、双子座も、兄が勝手に自分の未来に俺を組み込んだんだ)(なあ、)
(どうして、聖域の外で2人一緒に生きる未来を考えないんだ?)
それでも、兄がそう望むのであれば、俺はその未来を支えてようと、その頃の俺はそう考えていた。



花園の中央に不釣り合いな大きく黒い門が存在していた。俺はその前に立ち止まり、扉に手をかける。門を開けると、視界が一瞬何もなくなる、これが無かと思うより先に、一番奥深くで眠っていた過去が鮮明に映し出された。


俺が馴染みない、聖域で過ごす兄の顔。闘技場の真ん中で、見知らぬ少年と何かを話している。隠れていた幼い日の俺は、兄の声を拾い上げてしまう。蒼い瞳が真っ直ぐと、朗らかに笑う翡翠の瞳の少年を視ていた。

「私は、お前になりたかった」

それはつまり、俺という存在を「なし」にするって事だ。
唯一あった繋がりが切れてしまったような、そんなきがした。

俺の過去は、兄を追っていた記憶があって、兄の過去にはきっとあの翡翠色の少年があったのだろう。何ら不思議じゃない。俺が兄にあまり会えなかった時間、兄はあの少年と聖域にいた。それだけだ。それだけで、同じ胎から生まれたはずの双子の過去はこうも変わり、そうして、未来はこうも変わる。


「ああ、そうか。名前は、アイオロス。射手座のアイオロスだ。これが、鍵だったんだろう?」

過去が、ぱっと散った。
かわりに、先程の闇と花園の世界に戻る。そして、その中央に、兄がいた。過去ではなく、成長した姿で、眠っていた。

まるで死に行くように眠っているその体を、優しく抱き上げた。金糸がさらさら流れ落ちてゆく。自分と同じ造作をした顔は、あの頃と同じように目を閉じている時すら眉間に皺をよせて苦しそうにしていた。唇がかすかに震えている。悪夢をみてうなされているのか。あの頃もよくあった事だった。
兄の頭を、胸に抱き寄せる。「人の心音をきいていると、落ち着く」という事を教えたのは母だった。
しばらくそうしていると、兄が「あ…」とうめいた。ようやく起きたのか、と口を開くよりも先に、兄がしっかりとした言葉を紡いだ、

「……ア、イオロス…?」

空色の瞳が、悪夢の闇の中からようやく光を求めて、ゆるゆると開こうとしていた。俺はその瞳が開ききるまでの間、どんな表情をしていようかと考えていた。(でも、きっと、あの頃と同じように、笑うだけだ)


「おはよう、サガ」



ゆるりと流れる毒だった (080614)

「復活後」の冥界とかそういう次元での話、です。
あと、ロス視点の時は「サガは己を未来に含めてない」とかいう話でしたけど、カノン視点だとこういう事になります。こうでいいと思います。