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「───それを、誰から訊いた?」 「双子座のサガからですが」 告げると、教皇が考え込むように視線をそらした。どうして教皇がそんな反応をしたのか、また訊いたのか、判らないようでいて、でもうっすらと予感だけはあった。弟が獅子座の聖闘士として選ばれた事を告げた時のサガの顔があまりにも疲れ切った顔をしていたからだ。言葉を紡ぐ唇の端は強ばり、震えていた。 しばらくして後、教皇は低く呟く。 「…お前達を、あまりにも傍に置きすぎたのかもしれないな」 切ろうにも切れない、膿のようなものにしてしまったのか。 深く意味を問うよりも先に、教皇は先程とは違って強い声音で俺に、命じた。 「射手座のアイオロス。お前に密命を与える。聖域近隣の農村に、我らの守るべき御方が降臨された。 お前が、迎えにいくのだ」 こころが、何故か震えた。 「…アイオロス、」 「………はい」 「流れ出したものはもうとまらない」 あの夜聴いた、彼の心音が遠ざかっていく。 *** 赤子を抱き上げた日の夜、アイオロスはいつかの夢の続きと出逢う。 いつかこの夢を視る予感だけがあった。 己の胸に何度も矢を突き刺す男の腕を止めたのは、少女の細い腕だった。少しでも触れれば壊れてしまいそうな姿形でありながら、その眼差しはとても強い。光を、みている。彼を、導く光。その身を犠牲にしながらも、地上を光の下へと導こうとする意志。 この細腕に、人々は願いを、祈りを、たくすのだ。(例えば、彼の毎晩の祈りのように) 人々が、彼が、祈りをその細腕に託すのならば。その祈りと願いの為に、彼女が存在するのならば。(俺は、) 慈愛あふれるその魂に口づけを落とした。遙か彼方の未来の、その更に先まで、永遠を誓う。 『死してもなお、私は女神、あなたに、────』 その言葉をききとめ、少女が感情を抑えこむように目を伏せた。 貴方が、その選択を後悔しないのならば。 唇がそう動き、男は顔をあげる。少女が指さす先に映る光景は、満天の星の下、倒れる少年の姿だった。 *** 久方ぶりにみた彼は、暗がりでも判る程やつれていた。重苦しい闇に包まれた石造りの牢屋の中に無言で入る。心音が聞こえてきそうな程静かだというのに、あの日の心音は一向に俺に届く気配がない。 「…この前の夕食は結局駄目になってしまったから、改めて今日にでもどうかなと思うんだが」 「大丈夫だ。アイオリアの好物をつくろう…」 応えた人物は、牢の隅に背を預け、俺が掲げた手燭の火の下でほのかに口の端を歪めた。陽と風の中で揺れる金糸の髪が好きだったが、今は手入れもされず本来の輝きを失っていた。 青空の瞳だけがあの頃のような頑なさを示している。 「その前に、まずお前は休まなきゃな。何故、自分から牢に入りたいとシオン様に訴えでたのか知らないけど、そんなに双児宮のベッドは硬いか? 何なら俺の家に来ても良い」 それまでは子供達の世話をみるのもあって同じ宿舎に寝泊まりしていたのだが、女神の魂が聖域に帰還するのを機に、(つまりは俺のいない間に)本来の場所である自宮に住む事が義務づけられた。 「……ちゃんと、寝てるのか?」 手を伸ばし、その額に触れて前髪を掻き上げた。感情だけを綺麗にそぎ落とした眼差しが、俺を射る。それから、その目の下の隈を指先で優しくなぞった。 また悪夢を見て、1人で魘されているのだろうか訊こうと思ったはずなのに、サガを見つめながら開いた唇からは全く別の言葉が紡がれた。 「俺がいなくなったら、サガはどうする?」 初めてサガの表情にはっきりとした感情がにじんだ。見開かれた目は、何かを疑うように細められてから、「何を莫迦な事を」とささやいた。唇が矢張り強ばっていた。小宇宙が、震えているのが判った。 「くだらない」 「サガ、」 「そんな事をわざわざ訊きに、こんなところに来たのか、お前は?」 サガは俺の手を払い、押しのけようとするが、俺も其処から動こうとはしなかった。動けなかった。 なら、何故君はこんな処にいるんだ? 「今日、俺は女神を聖域にお連れした。まもなく、聖戦が始まる。遠い日の話ではない。俺も、リアも、あの子達も闘いの地へ赴くだろう」 「だから、何だ…!」 彼の拳が、(衰弱しきった腕で)俺の胸にあたった。 「お前はいつも勝手だ!何も知らないくせに、何もかも知っているような事をいう。本当は何も救えないくせに、救うかのような事をいう。その言葉で、拳で、小宇宙で、一体何が守れた?平和か、未来か?」 もう一度、強く叩かれた。すぐ間近で、蒼い瞳が強い感情をもって、俺を完全に睨み付けている。真剣勝負だと宣言した時ですらそんな目をしなかった。 「お前はどれだけ世界を知っている。女神という大義名分しか持たないお前に、理性で押さえられない感情が理解できるか?祈りだけではどうにもならない世界の残酷さをお前は判らない。お前は神々に愛されているからだ」 一時でも、お前に同情した自分が愚かだった…! 「英雄」を誓わされたお前が、私と同じであるわけなかったのに。 「…それでも、私は私の『祈り』を諦めない」 そう、告げたサガの体を、思いきり抱きしめた。 抗った指先が、頬に血の線を走らせたが、それでも構わず力を込める。この腕の中に今確かに存在する。それでも、確信する。(これが、最後だと) 「それでも、俺も、後悔はしない。これまでの事も、これから先の事も」 もう、ずっと前から、決めていたんだ。 腕の中の存在がびくりと震えた。胸の上を掴む指先に更に力が込められる。「殺してやる」と、くぐもった声が聞こえた。感情が揺さぶられて、思わず「構わない」と応えてしまう。今まで何度も抱きしめたり、抱きしめられたりしたが、その中で今のこの瞬間が最も彼に近いのではないだろうかと思った。こんなにずっと、長い間、一緒にいたというのに。 こうなってしまった理由を手繰り寄せようにも、膨大な記憶が余計に混乱させる。今のサガをつくったのも、今の俺をつくったのも、この長く一緒に、傍にあった過去から起因されているのだ。教皇シオンの最初の言葉通り、お互いがお互いをつくっていったのだ。そうでしかないかった。そしてこれは、きっと、サガも否定できない。 そして、シオンのその言葉よりも前に、幼い俺は選択をしていたし、幼いサガも絶対の誓いを胸に秘めていたのだ。たった、それだけなのだ。 空色ではなく、真っ赤に染まっていくサガの瞳を見たくはなくて、俺はそのまま抱きしめ続けた。腕の中の存在もやがて、抗う力をなくしていく。 離れないで、とどちらかがうめいた。 ずっと、一緒にいすぎた。ただそれだけの理由で、切り離せず、お互いを苦しめあった。 *** サガのいた牢は鍵がかかっていなかった。その事にアイオロスが気付いていたかどうか、もう今更サガにはどちらでも良かった。アイオロスを人馬宮に帰した教皇は、跪くサガに視線をやる。 「…弟の事は隠したのか?」 「異次元に追いやりました。まだ罰を受けている最中ですので、すぐに此処に戻します。…恐れながら教皇、何故私が此処にいる事を射手座のアイオロスに伝えたのですか?」 「奴が帰って早々、居場所を訊いた。お前は此処から離れようとしなかった。だから、こうなっただけだ」 本当は、試したかっただけだろう。私を。彼を。そして、カノンを。 小宇宙を静めつつ、サガは目を伏せる。途中まではもっと上手くやるつもりでいた。どんな彼の仕打ちにもたえきれる自信があった。あからさまに偽っていると伝わったとしても、それで良かった。それなのに。 本来ならば弟とあるはずだった長い時間は、全てアイオロスに奪われた。その長い時間が、感情をあふれさせるのだ。その時間が今の自分をつくった。 (だからといって、誰が弟の存在を忘れられるというのだろう) 一生、陽の目をみない存在。祈りではどうにもならない現実。それを知っているからこそ、今日までの努力があったはずだった。 (…リアが、カノンと同じ存在だと、どうして愚かにもそう思ってしまったのだろう)(私の現実は、相変わらず、彼と自分の立場は違うのだという事を叩き付けてくる) そんな事ぐらいで、此処まで頑なだった心が折れそうになったのだ。 (それでも、私は、抗い続けるのをやめない。あの祈りが、今日までの私の全てだ。捨てる理由すら、ない) しかし、あの何度もきいた彼の心音だけは鼓膜にこびり付いてはなれる事がないのだろう。これからも、ずっと。 *** それからは互いの宮で過ごし、それぞれの仕事をしていた為、俺とサガが久しぶりに顔をあわせたのは教皇の前でだった。次期教皇の選出。 あの日とは違い、涼しい顔でサガは俺に微笑んだ。 そうして、双子座のサガは聖域から姿を消した。 腕の中の存在を優しく優しく抱きしめた。俺の胸の、その心臓の音が少しでも慰めになれば良かった。悪夢を見ているのか、理由は判らなかったが、腕の中の赤子はなかなか泣きやまない。星々は相変わらず高く、美しい。 彼を抱きしめながら眠った夜と変わらない。 2人で何処かに溺れてしまった星空の夜、「ひとつになりたい」と嘘なのか真実なのか判らない危うさで紡いだ言葉に、俺は今一度「嫌だ」と感じた。俺は君の家族に、そんな存在になってしまえたら本当は良かったんだ。 最後に見た瞳の色は、君を寂しくさせる夕陽の色と一緒だった。 ああ、もう今は、あの地が君の帰りたい場所に、家族になっていればいいとそう思う。俺がいなくなれば、そうなるのかもしれない。そうであればいい。 腕の中の泣き声で、現実に意識が戻る。もう一度だけ、足に力を込めた。体で、魂で、全てでこの存在を守らねばと感じていた。あの幼い日に決めたのだ。魂が誓わされるのとはまた別に。俺自身がこの道を選んだのだ。彼が諦めなかったように。 (サガ、) (サガ、) (……どうぞ、穏やかな夢を) 心臓だけ置いてゆく (080610) ED「地球ぎ」をずっと聴きながら書いてました。 「貴方の為に出来る事なんて大した事ないのかもしれない」って歌詞を想いながら、ずっと書いていたので、恐らくそういう話です。 今までのロサ的イメージを改めて何度も踏んで踏みしめて書きました。 |