次代の支配者と結婚した日、誰もが祝福してくれた。
世界一の幸せものだと(この世の全てを手に入れたにも等しいと)、誰もがそう、サガに告げた。全てを奪われたサガに、そう告げた。


その時屋上にふいた風が、シュラの足下に丸められた新聞紙を運んできた。
かさかさという音をたてながら開いたソレに大きく書かれた文字。シュラは思わず眉をひそめる。

「…大体、こんな記事を書かれた日に学校なんか来ていいのか? サガ」

フェンスに背を預けながら、眼を閉じていたサガが応えるようにかすかに溜息をついた。
当然、今頃シオンが頭に血をのぼらせ怒り狂っていることだろうと、勝手に抜け出してきたサガはそう思う。しかし。

「………私は、生徒である自由まであいつに奪われたくない」

弁護士になりたくて、ずっと勉強してきた。弟との暮らしをよりよくする為に。なのに、それは絶対かなわない未来になった。
彼と結婚したことによって。 未来はもう決まっているのだから。
…その未来すら、今はあやういが。

紙面に大きく書かれたスキャンダル。国の至宝、王子が結婚する為に、その当時つきあっていた女性を手ひどく捨てたという、記事。
事実だから仕方がなかった。現にサガは、彼が女子生徒に告白する瞬間をみていたのである。それが、始まりだった。少しだけ違うのは、捨てたのは女性のほうであり、彼は捨てられたのだ。
だけれど、そんな事、サガには関係がなかった。別れた二人が最近よく密会している事実も、サガには関係がない。

「アイオロスは?」
「…昨日の晩からみてない。宮始まって以来のスキャンダルだし、記事は全部が全部嘘ではない。それに、こんな話…シオン皇帝のことだ。早々に握りつぶしてしまうだろう。事がおさまりはじめる頃に帰ってくるんじゃないか」
「…サガは、それで良いのか」
「別に。私には関係ないだろう。彼が誰を愛していようと」

それで離婚できるのならまだしも、シオンが、国が、それを許すはずないのだから。

「その割には、」

シュラが手をのばす。サガの目元を指先で優しくこすって、彼は、アイオロスの従兄弟であり、第2位の皇位継承権を持つもう一人の王子は、苦く笑った。
窮屈な宮生活をおくっていたサガに、初めて親身に優しく接してくれた友人。(出自の件から宮を厭う彼は、サガにむかって「同じ天に背く罪人だ」と笑った人だった)

「眠そうな顔だな。あいつが帰ってこなくて、ずっと夜通し起きていたんだろ。君の事だから」
「……………違う、」
「婚姻した次の日。サガ、急にあいつへの態度を軟化させただろ。それまでは敵意しかなかったのに、そう、優しく接しようと…そうするようになった。『世界で一番、孤独な男』とそういって。 何があったのかはしらないが、あの愛される為に生まれてきた王子を、皆と同じように君も、」
「違う!!」

近づいてくる手を払い、そのままサガは両耳をおさえ、うずくまる。吹き付ける風が冷たくて、泣きそうになった。泣き喚いてしまえたら、いっそ楽だ。 違う、のだ。

何もかも手にいれているようで、何ひとつ手に入らなかった男をみて、確かにサガは態度をあらためた。王子だという事で、全てを拘束され、愛した人すら手に入らない現実。皇帝は彼を抱いた事もない過去。朝から晩まで、世界中に見つめられる生活。こころは、どんどん世界から遠くなって…。
だから、サガは彼を世界で一番愛されている者ではなく、孤独な者と、そう口にした。
哀れみも混じったのかもしれない。実際眼にした男の現実があまりにもちっぽけだったから。

その瞬間、サガを驚くように(傷つくように)みあげたアイオロスの顔が、今でも忘れられなかった。
それでも。

「朝から晩まで一緒にご飯を食べて、一緒に学校にも通って、そうして…生活していれば自然に情なんてわくものだ。一緒に飼ってるペットと同じで。だから、急に姿を消すと、普段あったものがないから不安になって、…そうしてだから…さがしてしまう。…ただ、それだけなんだ。私にとっての彼も。彼にとっての私も…。その程度の存在なんだ」

シュラがそっと制服の上着を、サガにかけた。彼はそのまま守るように風上にたつ。しかし同時に、背の高い彼があたたかな日射しすら隠してしまうから、(そんな彼に)思わずサガは笑った。
ようやく笑ったサガに、シュラは眼を細める。本来ならばシュラが第一継承者であった。古き約束のもと、サガの許嫁はシュラであったのだ。(シュラの父が暗殺されなければ)

「…サガ、サガが望むなら俺は、」

サガの頭に優しく触れようとした指先はしかし寸でで、とどまった。
屋上の扉を乱暴に開け放ち、男が一人大股で入ってきたからだ。

「サガ、此処にいたのか!」
「……………ア、イオロス」
「はやく此処を出よう。下はもうマスコミに囲まれている」

無理矢理手をつかまれ、サガはたたされる。そのまま、アイオロスはサガをつれて駆けた。シュラが何事かを紡ぐ暇もなく。 残されたのは、サガにあたえた制服の上着だけであった。

「ま、待て! 勝手すぎるだろ!!」
「何がさ! 勝手に宮から消えたのは君の方だろう! アフロディーテから連絡がきて、俺がどれだけ心配したか…」
「消えたのは、お前だ!!」

思わずサガはその手を振り払った。階段を下りている最中だったのでアイオロスがバランスを崩し、何段か下にずり落ちる。どうにか体勢を保ったアイオロスが、「おい」と抗議の声をあげたが、数段先にいるサガが怒っている事に気付いてやめた。

「……君はいつも怒ってばかりだな」
「私の教育係からの電話はとって、妻である私の電話には一晩中でない奴にいわれたくない」
「…冷静になりたかったんだ、昨晩は…。さっきようやく帰ろうとしたら、丁度電話がきて、」
「お前に『捨てられた彼女』が、留学するからか? お前から引き離す為に、シオンがやりそうな事だ。……どうせ、彼女に逢っていたんだろ?」
「…………………」

サガは静かに溜息をついて「もういい」と呟いた。仕方がない事だった。彼女は自分達の戦略結婚故の犠牲になったに等しいのだから。彼が責任を感じて当然なのだ。これ以上の会話は不毛だ。
彼は、遠い。

動かない彼の横をそのまま通り過ぎようとした時、がっと手首をつかまれた。

「っ、離せ。大人しく帰るに決まっているだろ!」
「君も、シュラに逢っていたろ」
「は?」
「シュラにみせるような笑顔、夫である俺には見せないんだな」
「………お前は、シュラじゃない」

瞬間。
かみ切るような勢いで、唇が乱暴に重ねられた。
背を壁に押しやられ、ひんやりとした痛みが、いつかの床入りの夜を連想させる。
冗談じゃないと、サガは必死にアイオロスを拒んだ。

冗談じゃなかった。





昨晩の出来事である。
アイオロスは確かに、幼なじみの女性のもとに訪れていた。

「もっと、優しくしてあげた方が良いわよ」

沙織がそういって、少しだけ悪戯気に笑った。

「…優しくしているつもりだけど、した事がないから加減が判らない」
「ま、友達も私しかいなかったしね。そんな事してたら、シュラ王子にとられちゃうわ」
「………皇位も、許嫁も、宮も、全部あいつからのもらいものに等しいから」

彼が皇帝になると思っていた幼少の頃。それがいつのまにか全部、手元に降りてきた。
全てが偽りのものだった。重たくて重たくて、仕方がないもの。

「唯一、私だけが最初からあなたのものだった」

少女がそう悠然と笑った。ピアニストになる夢を叶える為に留学する彼女。

「俺を捨てたくせによくいう」
「何もあなたの手に入るものなんてないのよ」
「………そうだな」

諦めたように呟くアイオロスに沙織は笑った。慰めるように頭をなでてやりながら。

「あなたが自ら手に入れようとしなきゃ、世界なんて何の意味もないわ」

わたしは、皇帝から「夢」を勝ち得たのだ。だから、貴方はもう何も気にしないで。
少女の強い言葉に、アイオロスは顔をあげる。

「それに、記事はあながち間違ってないわ。捨てたのは、貴方よ。私を好きでもなかったくせに」

立ち上がる少女に、アイオロスは首をふろうとしたが、しかし制される。

「……あなた、サガにあって変わってしまった。私が好きだったアイオロスはもういないの」
「───俺は、…あいつの横にいる為に…借り物の地位を、本当の俺のものにしたい」

いつだってアイオロスには眩しい程「生きていた」サガの、傍にいたいのだと、そう…




床入りの夜に、
次期国王の閨で、その伴侶が叫んだ言葉が今でも鮮明である。

「私はそんな未来、絶対認めない!」
「…もう、決まっている事だよサガ」
「そんなもの私は認めない。お前と違って、いつだって私は必死に自分の、弟との未来を自分たちで切り開いてきたんだ」

身動きを封じられていながら、逃げ出す事もかなわない厳重な宮の中で、それでも、彼女の蒼い眼は真っ直ぐとアイオロスを見上げていた。
ここが閨だとか、のしかかられているだとか、床入りの真意だとか、それすら構わず。

「こんな狭い場所を世界だと決めつけてるお前なんか置いていって、私はこの宮を抜け出して、もっと広い世界に絶対、でていくからな」

宮を、出る。
その瞬間、脳裏に浮かんだのは幼い日、窓の外にみた白いツバサをもつ鳥だった。

宮に嫁いだものが宮を出る前例などない。それでもその未来を選ぶといいきる人がいる。
アイオロスは目眩に近いものを覚えた。

サガの言葉はいつだって、アイオロスには鮮烈であった。

いつしか思い出すのは、サガのその恐れを知らぬ真っ直ぐとした瞳だった。
そればかりで、あふれていった。





押し寄せる取材陣の波を抜け、どうにか車の前に辿り着いたサガを迎えたのはボディガードのデスマスクであった。彼に抱き留められながら、車にのせられる。中には先に到着していたアイオロスがいた。 途中まで一緒だったのが、あまりの人数に離ればなれになってしまっていたのだ。

先程サガに殴られた頬を軽くさすりながら、アイオロスが「大丈夫か?」ときいてくるから、サガは憮然としながらも頷く。
校舎を出る前、アイオロスに手をさしのべられた。先程の件もあり素直に応じられないサガに、アイオロスは何度目かの溜息をついて、「……悪かった」と謝ったのだ。
その手も結局、最後までつなぎきる事がかなわなかったわけだが。

離ればなれになった手をみつめながら、サガは、これが全てなんだろうと悟った。
カノンの事も他の何もかもも忘れて、許して、そう過ごすなんてかなわないのだと。

結婚なんて、しなければよかった。
分かり合おうとしても、分かり合えない。遠すぎて、たまらない。心が、こんなに遠いだなんて知らなかった。

「サガ、」

ぽつりと落ちた言葉に、ゆっくりとサガは顔をあげた。
それでもその声は矢張り、サガの耳に心地よく響くのだ。

「………でも、俺の傍にずっといて欲しい」

脈絡がなくて、笑いとばす事もできない。
なにを根拠に信じていいのかすらも判らない。 おまけにそれは、サガが今一番望んでいる言葉でもなかった。

ただ、サガの頭に巡る事は、ここ最近の皇帝との不和、別れた彼女の留学問題などですっかり疲れやつれきった顔のアイオロスを観る度に、どうしても、どうしようもなく、心配でたまらなくなってしまう事だった。どうしようもなく、心配になる。
かりそめでも、夫婦だから、───相談して欲しいと、そう思ってしまうのだ。
(綺麗な翡翠の瞳はいつだって、ひとりぼっちの色を宿しているから)

そんな顔で、そんな不安げな声で、頼むその人は矢張り、
世界のはてもしらない、ひとりぼっちなのだろう。



宮 (080307)