『 天は意味に満ちた法の織り交わった処であり、光輝く穹窿に必然の紡錘が下がっていたが今は惑星の力がこれを無意味に奴隷のように支配している。今では我々がなすべき事には全て、我々の肩に死滅した世界の重みが、精神とは無関係な宿命となって覆いかかっているのである 』
M・ブーバー/われとなんじ




***



「俺達の魂はくりかえし聖域の中でめぐり続けるらしい」

それは唐突な言葉だった。彼は相変わらず青空に微笑みかけるような顔をして、なんて事のないように言った。
憎しみはないよ、 といったあの時と同じように。
ただひたすら翡翠色の瞳を(それはまるで吸い込まれてしまったかのように)見つめていた自分が愚かに思えるくらい。

「愛しさも喜びも、苦しさも悲しみも、何もかもまた俺達は…俺はきっと馬鹿だからくりかえしているんだろうな」
「憎しみはめぐらないくせに」

この言葉ひとつひとつが毒となって針となって男の、そのくだらない魂に少しでも傷を残せれば良かったのに。 かわりに降ったのは、赤い血だった。赤い線を頬につくった男は困ったように笑う。

「俺は今まで何度、君と出会ったんだろうね。君は、きっと綺麗だから、たとえ虫に転生していようとも判っただろうな」
「…人を虫にするとは良い度胸だ。いっそこのまま手を離してしまおうか?」

強く掴んでいた手はしかし一瞬でも力をゆるめられる事はなかった。体力の限界できしむ腕。掴んだ先で不安定にゆれる男の下は、闇につつまれた谷底。戦闘の後のただでさえ疲弊している時に引き上げる事はかないそうになかった。いっそ、離してしまえば真に楽になるかもしれなかった。

「落とせば良い。此所で黄金を二人も喪う必要はないのだから」

にっこり微笑むそのさまに、少しは違う表情をみせればいいのにと思った。いつも、そう思っていた。不愉快気に眉をよせれば、男がそっと口を開く。ささやくように、なだめるように。

「此所でたとえ死んでも、まためぐり逢える」
 ────…だから、 君は 泣かないで。

「ハ…くだらないことを」
「他に君にあげられるものが聖闘士である俺にはないから…。本当は一緒に死んでしまいたかったんだけど」

心底、殺してしまいたいと思った。

同時に、血がつたう掌に痛みがぴしりと走った。垣間見えたのは黄金の火の粉。気付いた時には、男が無理やり手をはなし、下に落下していくところであった。

「…ふざけるなっ!!」

憎んでも愛してもいないくせに。





最後に眼に焼き付けようと思ったのは、青空だった。ぬけるようにただただ美しい空だけを、翡翠の瞳にうつして終わろうと思っていた。それが、聖闘士としての生に縛られた彼のさいごのさいごの自由の証であるはずだった。なのに────…
視界が一瞬にして、千歳に散る金糸と、青空よりも深い瞳の色で占められた。

「──────!」

思わずその名を叫んで、両腕で抱き留めた中にいたのは紛れもなく、双子座の聖闘士だった。背中がかなり強い力で圧迫され続ける。2人の体をきりさこうとするかのような風。確実に落ちていっているはずなのに、翡翠の瞳には金糸しかみえないから判らない。きらきら、激しく、まるで生きているかのような眩いその金糸のすべてが尊く思えて、自分の腕の中に隠すように彼の頭をしまいこんだ。双子座の両腕もまたしっかりと、かき抱くように(けっして死んでも離してたまるものかとでもいうように)背と後頭部をつかんできた。
このまま、一緒に死んでしまうのも良いかもしれない、そう思えた。  だから。

引きちぎられてしまいそうな世界で、腕の中の双子座が、ふっと片手を宙にむけた瞬間、空間がぐにゃりとゆがんだ。ゆがみつづける。落ち続けながら、確実に空間のゆがみの尾をひきずりながら、双子座があがくように、俺の背と、奈落の間の空間をゆがませ続けていた。かすかにだが、徐々に地面に引き寄せられる力が緩和されていく。2人の体が入るような異次元の入り口をつくるには力が足りず、それでも、せめてもと力を相殺させ続けていたのだ。彼の、神に愛された手だとささやかれるような美しい手に、赤い線が走っていくまで。血が、上へと舞っていくのが、金糸の隙間からみえた。
俺は気付けば、よんでいた。

「聖衣…!!我が黄金の聖衣よ!!!」

空の彼方で、確かに何かが呼応した。

「此処に!主のもとへ、来い!!来るんだ!!!射手座!!!」

残された最後の小宇宙のすべてをつかって、叫んだ。
落下していく世界。落下していく自分たち。追うように一緒に落ちてきたヒトを守るように抱きながら。彼は、射手座の聖闘士は、光に手をのばした。
解放を願いながら、俺達はそれでも、その力にすがるしかないのだ。

(きみを、まもりたいから)

それがいったい、誰の想いのかけらなのかさえもう判らないというのに。



黄金の羽根が、世界からふたりをさらった。



憎しみを判らない人間が、愛という情を判るとは思えない。
そうささやきながら、酷く綺麗な微笑みをしたヒト。ひどく。
君をにくんだ事がないよと云ったら、そう返された。泣かせるつもりはいつも、なかったのだ。



「お前なんか、死ねばいい」

意識を取り戻した双子座が、のぞきこんでいた俺の顔をみての第一声だった。綺麗な顔のヒトが、綺麗な声で、綺麗な表情で、綺麗な瞳に本気の殺意をひめてそう告げられると、何だか本当に胸にぐっさりときた。冗談ではない、本当に周囲の全てを殺してしまいかねない物騒な小宇宙に俺はちょっと怖じ気付いて、顔を幾分離した。それでも、俺というがたいのいい人間をずっと片腕だけでささえていたという疲労、その前までのはげしい消耗戦、落下中に無謀なあの空間ねじまげのせいで、しばらく動けないらしい彼は、さすがに実行まではうつさなかった。なので、俺もそのまま傍で見守った。

「ほんと、死ねばいいのに」
「……死んで、まためぐりめぐって聖域にたどりついて…、君に逢えるのなら」
「私はもうお前なんかに巡り逢いたくないよ」

ぐったりとしながら、彼は答えた。心底疲れたとばかりに、その青空よりも深く重い色の眼を伏せて(その青空をもっとよくみれば、俺はたぶんきっと、あのかけらの名前を知る事ができたはずなのに)。
俺のことそんなに嫌い?と訊いてみたくなったが、また困らせて、そして泣かせてしまうんだろうなと思って、やめた。


俺の中で憎しみはめぐらなかった(彼がいうには)。そして、たぶん、彼の中身も憎しみだけではないのだろう。憎しみだけのヒトがこんなにも綺麗なわけがなかった。
 ならば、憎しみはきっと、俺と君の間でずっと巡っているんだろうなと思った。


(でも、そんなこと、結局今の俺にはどうでもよくて)

ただ、どうすれば、この綺麗なヒトが泣かないようにすむのか、いつもそればかり考えている。



世界からふたりをさらった日 (071015)

奥田美和子さんの曲を聴きながら。 射手座は最終的に双子座を泣かせたいと思っているんじゃないか、な…すごく純粋な気持ちで。