※射手双子スキーさんには申し訳ない可哀想な話なので…ごめんなさい…射手座が非道くても許せる方だけ…




夜の冷え切った空気が今はとても心地よかった。呼吸は一つも乱れてないくせに全身が熱く火照っており、知らず知らずのうちに強く握りしめていた拳のうちからは血のぬくもりと重みが伝わってきた。伝い流れて、落ちてゆく感覚。所々ひび割れた石の階段の上にぽたりぽたりと落ちていっただろう。赤い点は上のほうへ続き、やがて、一つの宮の中へと入っていった。ほんのちょっと動いただけだというのに疲れ切った足は自分のものではないかのように重く、そのまま窓辺に腰掛けて男は目を瞑る。もう一歩たりともそこから動く気はなかった。背に投げかけられるのは、いつだって冴え冴えと孤高に見下ろしてきた月光。夜風がさらりと、彼を癒した。静かな、沈黙の夜。

「射手座ともあろう男が、ハ、無様だね」

闇の中からした声に、鬱陶しいと想いながらも男は唇に笑みをつくって応じる。気配は今し方、異界を通じて此処に出現した。

「下はすっげー混乱して何が何だかわかんねぇ状況だってのに、当のお前は、んな平静を装っちゃってね。あの教皇もまじギレして…可哀想に。教皇が一等大切に育てていた子だった」

可哀想に。
二度告げられた言葉に射手座は笑んだままゆっくりと口を開く。

「それで?貴公は何が云いたくて、此処にきた…蟹座」
「どうして、って訊きに」

(どうして?)

「どうして、その手で、双子座を殺したんだ。射手座」

ひどくつまらなそうに蟹座がささやいた。
青白い月明かりの中で、射手座が困ったように笑う。血まみれの拳からは未だ力が抜ける事はなかった。赤い血が、ぽたりと床に落ちる。

今が、夜で本当に良かった。(見上げた空が青かったら、きっと完全に気が狂って壊れていただろう)



それは、遠い昔の、過去だった。 射手座にしてみれば一つの夢だ。



***



彼が夢をみる事は、稀だった。生まれ落ちる前から全てを天に約束されていた彼は、光の届かない夢の中だと全てから厭われていた。狂ってしまえとばかりに、感情の揺れが少ないはずのその射手座でさえ苦しませる夢をみさせられた。それがこれから起こる未来なのか、それとも、巡りくる来世なのか、もしくは、在ったはずの前世なのか。判らないが、いつだってそれは射手座を絶望の淵においやった。だから普段からあまり夢をみないようにしている。
なのに。

「……───?」

夢と現の合間から呻くように(すがるように)、大切な名を呼ぶが、ふとそのぬくもりが欠けている事に気付く。さあ、と夢が一瞬にして消え失せる。
ぱちりと、翡翠の瞳がはっきりと闇の中、眼を醒ました。


裸足で冷たい石の上を足早に行けば、腕の中にいたはずの人物はすぐに見つかった。窓に頭を預けていたその人は虚ろな瞳でこちらを見やった後、面白そうに笑う。月明かりの下、その笑顔は儚げであり毒のように甘かった。

「悪い夢でもみたのか?そんなに慌てて。らしくない、」
「君が、いないから」

柔らかな金糸とともに彼の肩に額を預ければ、彼の匂いで目眩がした。傍にいる事実。でもいつだって、彼はそう想わせた途端、手の届かない場所へ行くのだ。いつだって。

「血の匂いがする、────」

静かに名前をささやかれ、射手座は先ほどから強ばっていた手を広げて月明かりにかざす。強く握りしめていたせいで爪が肌を傷つけたらしい。それを目にする事によって、ようやく破れて血の出ている部分が痛いなと射手座も実感できた。真っ赤な、手。
思って、双子座の美しい顔にその赤い指先をなすりつけた。

「…何を」
「──血の、約束。互いの血が混じれば、『ひとつ』になれるんだって」

あからさまに不満げな顔をした双子座は、しつこく頬のラインをなぞっている赤い指を除けた。白いはずの頬は、今や真っ赤だ。(『兄弟の契り』だなんて、双子座にしてみれば笑える話だ)
その赤を、顔をあげた射手座の舌が舐めとっていく。丁寧に。常になく強い力で腕を掴まれていた双子座はなされるがまま、諦めたように目を瞑る。
そうした瞬間、唇を奪われた。唾液に混じる苦い味は、恐らく射手座が舐めとった射手座の血だった。口の中で広がったそれは、やがて、

ごくん、

「……一方的すぎる」
「それでも、」

君は、──────…



***



この掌の中にだけ、残っていた。彼の、最後の重みが。ぬくもりが。


血に濡れた手のまま女神の前に現れた射手座に、教皇は激怒したが、それを女神が制した。二人だけに。紫色の瞳にそう命じられてしまえば、教皇が反論する術などない。女神の魂を有する少女と、射手座の星を宿した青年、二人だけになると、いつまでも顔をあげない青年に女神が先に口を開いた。

「射手座、貴方との付き合いは誰よりも長いのよ。貴方はもう覚えてないでしょうけど。だから、貴方が何度も同じ事を繰り返しているのも知ってるの。神代の頃からずっと。近づいては離れて、離れては近づいて…」

ずっとそれの繰り返しだと、女神は告げた。
つまり自分は何度転生しても同じ過ちを繰り返しているというのだろう。いくらいくら、繰り返しても。願いは、叶わない。絶望が、上書きされていく。

「…今世もまた、いえ…双子座は、…海へ還ろうとしたのですか?」

それが双子座の性だった。二度と二つに別れて生まれたくはなかったというのに、神代の約束故に、別れて生まれるさだめを背負っていた。だから、一つに戻ろうと互いが互いを求める、破片たち。こちらの願いもまた、幾度転生しようと叶う事がなかった。射手座が狂うほど欲したのは完璧なる一つではなく、その破片のひとかけらだけだったからだ。

「違います、女神……全ては、私が──…」
「何にしろ、それは傷になります。来世への業を、貴方はまた一つ増やした」

愚かね。女神の言葉に射手座は項垂れる。
また、来世でも繰り返さなければならないのかと、うんざりした。切なくて苦しくて憎くて悲しくて悲しくて、いとおしくて、だからたえきれずこの手で───だというのに。(この世から消えてしまえば、楽になれると思ったのだ)

しかし、そうしてみて気付いたのは、胸の中にぽっかりとあいた虚空だった。


黒い棺桶の中、埋め尽くされた白い花々の中で、彼は静かに眠っていた。殺したあの瞬間にみせたあの表情など何処にもなく。喪われた。喪われたのだ。すべては。この掌の中からも。 花に埋め尽くされながら。

胸の虚空から、風の通りすぎる音がきこえた。
(…俺はまた繰り返すのだろう…この虚空の中にあったものを求めて、)




***



夢はみるがそれは大抵おぼろげで、起きた瞬間には忘れてしまっていた。ただ、ぐさりとえぐられた感情だけがそのまま取り残されていただけだった。何が悲しくて切なくて憎くていとおしいのか、だからもう射手座には判らなかった。まだその頃は、女神がギリシアの地におらず、英雄の呪いもかかる前である。ただ、ばらばらになった感情だけが在っただけだった。

横で静かな寝息をたてて眠る双子座をみつめながら、いつも射手座はぼんやり考えている。この人はこんなにも俺に無防備な姿をさらしていながら、その実けっして俺の願いを叶えてくれる事はないのだろうなと。いつか、あっさりと俺を捨てて、何処かに行ってしまうのだ。そんな確信があった。

(ただ、今しばらくだけは、せめて俺の夢が終わるまではこうしてこの手を離さないで、傍にいて欲しい)

それだけを願って、繋いだ指先から感じるぬくもりにすがりながら、眠りに落ちた。彼が今見る夢だけでも幸せであれば、と双子座が願っている事など射手座は知らないまま。 ゆっくりと、全ては終わりの日に向かって巡っていた。




君を花で埋めつくすために僕は生まれた (070501)


前の話で、「双子座を殺す射手座なんて書けるわけないじゃん!」といっていたくせにこういう話を書いてしまって何だか申し訳ないで、す…。何かもういっそ、それがたとえ自分の中でどれだけの人であっても「この世から消えてくれれば」と思う時があるのだと、私は先日この境地に至ったわけで…いやでも若さ故の発言なんですが…だからその射手座はきっと10代なんだと思います、私は20ですが。いつか昔の射手座と、ロスト〜の射手座の話でした。