幼い頃からずっと傍にあった。真実だけを見つめるような真っ直ぐな真っ直ぐな、瞳。ずっと恋い焦がれる空を宿して。気づいた時には、自分の一部となって息づいていたヒト。 自分の呼吸の一部になら、殺されてもいいと思えた。 「…それじゃあ、本当に私は大罪人だな。未来永劫、女神に恨まれる」 「それとも、君が逃がした『海龍』の居場所でも教えてくれるのかい?」 その瞬間、双子座の強大な小宇宙で跳ねとばされた。夜の海の静寂を破るような激しい音をたてて高く、水飛沫があがる。碌に服もまとってない状態のまま、海に投げ出された青年はしかし動じたふうもなく、顔にはりついた髪をのける。浜辺に一人残された双子座の青年もまた、衣一枚かろうじて羽織っている程度だった。その肩が、大きく揺れる。呼吸の仕方がやけに荒い。ふっと彼の小宇宙に違和を感じて、近寄ろうとした射手座の手を双子座が払った。 「私が、射手座を殺せば大罪人。でも、英雄が私を殺しても英雄のままだ。 …英雄なんて、ただの死神なのに。 あの日、海龍を倒しにいく射手座の背をみた瞬間、ああ死神だと、そう私は感じた。 可哀想に。可哀想な、────。誰にも頼れない、共感してもらない。弱音を吐く事すら許されない。ただ一人、昔から信頼していた私にすら、恨まれて憎まれて。それでも、死ぬ運命から逃げられずに。そうやって、ずっと、ずっと、英雄は、ひとりぼっちだ」 急速に全身が冷えていくのを感じながら、射手座の青年は眼を瞑る。黒の海はざわめき、夜風は熱を奪い、天高い星空は無言で見守っている。その中で、ゆるく首をふりながら、射手座は答えた。 「それでも、俺は…あの世界を守りたいから……英雄でいるよ」 少し間をおいて、「私は、半身を選ばせてもらう」と俯きながら双子座がささやいた。 どうして、それでも、一緒に、共に歩めないのか。誰か、教えて欲しい。 双子座がゆっくりと立ち上がった瞬間、切り裂くような風が射手座を襲った。 * 「久しいな、サジタリアス」 美しい朱金の炎は、星1つみえない漆黒の空に舞い散っていく。焦がれ続けた蒼天の色を秘める瞳の持ち主は、眼を細めふっと微笑んだ。美しい笑み。 「お前が来ると思ったよ、聖域の英雄さん」 未だ神殿を燃やし尽くそうとする貪欲な炎を一瞥してから、射手座の青年は周囲の火を、小宇宙を使って一掃する。焼けこげた跡が消える事はないけれど。そうしてから、ゆっくりと黄金の聖衣を纏う、蒼天の瞳を見つめ返した。真っ直ぐと。 口元は笑んでいるのに、蒼天の瞳だけが感情を露わにしていた。そこだけが正直に訴えていた。終わりのない憎しみと哀しみを。 射手座の青年が、静かに口を開いて、問う。 「…君の、本当の名前を訊こうか」 ─────── 海 龍 … * 少年が持ってきた大きな毛布に、なかよく2人一緒でくるまった。毛布の中から顔だけだして、こぼれ落ちてきそうな程輝く星空を見上げる。星の、ひとつひとつをたどって。 「あそこ、ほら、縦3つ並んでいる星、そう、それ。あそこから幾つか星を繋げて…うん、……あれが、射手座。君の、───の星だ」 「双子座は?」 「一緒に見えるわけないだろ。双子座は今頃反対側。もっともっと遅い時間に…、射手座が沈んだ頃にきっとでてくる。射手座が沈まない限り、双子座は出て来られないよ」 「まるで、追いかけっこみたいだ」 白い吐息をだしながら、額をこすりあわせる程近くでそう射手座の少年が告げた。双子座の少年は、眼を丸くして首を傾げる。 「出逢えるまでずっとずっと、俺の星が君の星を追いかけてる。繰り返し繰り返し、季節を巡って。君に逢えるまでの長い旅だ」 「…一生、並ぶ事はないのに?」 「いつか、出逢えるかもしれないよ」 その日を、ずっとずっと待って。 少年がそう云って、にっと笑うから。もう一人の少年も笑うしかない。毛布の中で繋いだ互いの掌をきつくきつく握り締めながら。離れる日が来なければいいと、そう、こぼれ落ちていった星に願った。 * 狡くて、卑怯だった。この世界で誰かを憎むとしたら、恐らく真っ先にこの青年を憎むのだろうと、射手座はそう思った。何もかも押し付けられた。誰よりも深く深く、こちらの心臓を掴みながら。いつか、必ず離れる事を、最初から彼は知っていたのだろう。 「……聖域の英雄に、やられたんだ。半身の傷が、そう浅いものではないだろう?」 「………………だから、自分の力を分け与えたのか」 血まみれの体を抱き上げながら、射手座はまるで自分が傷ついたかのように苦しげに眉を寄せた。双子座はそんな青年の顔をみて、小さく笑った。 二度目の小宇宙の爆発は、双子座自身をも襲った。ほとんどの血を、生命力を、小宇宙を、双子の片割れに与えてしまったのだ。底の尽きかけていた力を無理矢理爆発させようとして、だから、破裂した。射手座の青年にも同じようにそれは降りかかったが、浅い傷を幾つもつくっただけだった。射手座の小宇宙は、射手座を守ったけれど、双子座は守らなかった。 そして、こうなる事を全て、この双子座の青年は予期していたのだ。 「………君は、一体、俺にどうして欲しかったんだ…?何を、今…。殺したいのなら殺せばいい。 君が何を望んでいるのか、昔から俺にはよく判らない」 英雄にと、口にはせずとも誰もがそう望んでいた事を射手座の青年は知っていた。では、今、腕の中で弱々しい小宇宙を抱く、この、ずっとずっと傍にいた双子座の青年は? 双子座は、笑みをつくっただけだった。さぁなと曖昧な答えだけを呟いた。 射手座の小宇宙をいくらいくら送っても、穴が空いているかのようにどんどん失われていく、その彼の小宇宙にたえきれず射手座は青年の体を強く抱きしめた。双子座の胸の上と項垂れるように頭を預けた射手座が、彼の、そのとくんとくんと息づく心音をきいた。 「───が、一緒に此処から逃げ出してくれるような奴だったら良かった。英雄じゃなくて…」 「………………俺の、守りたい世界は、」 その時、双子座が、「あ」と声をあげた。つられるようにして、ゆっくりと顔をあげた射手座の眼にもそれは映り込む。何年月日が流れようとも、変わらなく、其処に。 …ずっと、見守っている。 「…………射手座だ。君の、───の星座が、もうすぐ消える」 そうして、双子座が、射手座のいなくなった空にあがるのだろう。繰り返し、繰り返し。 「…だから、私も、待つよ。…射手座の星が沈んでくるのを、此処で、ずっとずっと待ってる」 「なんだよ、それ」 「英雄として、女神を、聖域を、地上を守って華々しく散ってしまえばいい。そうしたら、それを目印に、追い掛けるから。待ち続ける」 「…結局、君も俺に『英雄』を望むんだな」 「だって、───が、私よりその道をとると云ったんじゃないか」 蒼天の瞳が真っ直ぐ見つめながら、はっきりそう告げる。わずかに顔をあげた射手座の青年はその瞳の中に頭上の星が映り込んでいるのを知った。昔から欲しかったものはこの体全てに詰まっているはずなのに、確かに抱いているはずなのに、なんて全て遠いのだろう。 射手座の顔をみて、双子座がふと呟く。 「さびしいか?」 なんて、そんな事を訊くから、再び彼の体に顔を埋めながら射手座の青年は、さびしいと答えた。 双子座はくすくすと痛いはずの体をそれでも震わして、笑った。笑いながら、動く片方の手だけでその頭をよしよしと撫でてやる。撫でながら、ささやく。射手座の星が消えてしまう前に、(最期に眼に焼き付けるなら、来世まで迷わず行けるようその星だけを映したかった) 「仕方がないから、ずっと、傍で見守っているよ」 ひとりで寂しくないように。 だから、ずっと、夜空で他の誰よりも輝いて欲しい。 だから、泣きそうな顔をしないで欲しい。(離れがたくなるから) 「サジタリアスっ!!」 突然横から襲ってきた攻撃的小宇宙を、意識するより早く腕が動いて、同等の小宇宙で薙ぎ払った。顔をあげた射手座は、暗い海の波間にたたずむヒトを見つける。腕の中のヒトと瓜二つ、でも激しい印象を与える…海龍だった。暗闇の中、その瞳の色が赤なのか青なのかさえ判別できない。 「…返せっ!!!おまえなどにっ!」 返せるわけなかった。 双子座の青年を抱きながら、射手座は何も考えず、ただ遠くへと思って、とんだ。 * 見つめ続ければ錯覚をおこしそうだし、眼を瞑ってしまえば瞼裏にそのヒトの微笑みを思いだしてしまいそうだから、射手座の青年は笑う事しかできなかった。穏やかに静かに微笑んで、待ち続ける。 (これが、彼の望んだ世界だというならば) 「聖域の英雄になのれるような名などあるわけない」 双子座の聖衣を纏うヒトはそう云いながら、足下に転がる赤黒いものを軽く蹴る。神官服のそれは、今回冥界側に情報を流した内通者だった。いち早く察した「双子座」が、射手座よりも先に駆けつけ始末したとの事。神殿を包み込もうとした炎は、「双子座」が小宇宙を高めればすぐに消え失せた。海龍の属性さえもそのまま、聖衣に拒まれず逆に愛された青年は、射手座の前に立ちふさがる。 双子座の死を誰にも伝えなかった射手座は、翌朝変わらず双児宮が主の小宇宙で覆われている事に驚いた。その後、教皇の間に12人の黄金をそろった時、疑問の答えを知る。姿も、声も、小宇宙さえ同じであった双子の半身。全てを拒絶しながらも、彼は、まるで「双子座」のように存在していた。死など嘘のように、「生きていた」。入れ替わった事など誰にもきっと判らないだろう。 (…これが、「半身」を選んだ、───の答えだったのだ。海龍として「英雄」に殺されぬよう、女神に守られた聖域で「半身」が生きられるよう…。俺の腕の中で、死んでいった、答え) (そうして、本当の双子座は、「双子座」のしがらみから解き放たれる) そのまま、切望していた「外」へ逃げていってしまえば良かったのに。 途端に思いだしたあの日の腕の中の重みに、そっと拳を握り締めてやり過ごす。その時、静かに射手座を見つめ続けていた「双子座」が眉をひそめ、口を開いた。 「…俺は、あんたを一生許さないからな。未来永劫。いくら、転生したって、その面を忘れてやるものか。あんたさえいなければ…っ。 今は、あいつとの約束だから大人しく「双子座」を演じ続けるが………覚えておけ、聖戦の混乱に紛れて、お前を俺が殺す」 「…楽しみにしているよ」 誰に殺されるのかは未だ判らないが、「死ぬ」事だけを射手座はずっと昔から知っていた。 輝かしい栄誉と、引きかえに。 女神の抱く地上の為に。 いつか、必ず。 ふっと、空気がかわるのが判った。横の「双子座」が、ゆっくりと振り返る。射手座もつられるようにして、優しい小宇宙の持ち主を見やる。静かに現れた少女が、2人の名を呼んだ。2人同時に、膝をつき頭をさげるのを待ってから、少女であり女神でもある至高の存在が、「参りましょう」と微笑んだ。─────冥界へ。 真の聖戦の始まりが告げられた。 * 海から離れて辿り着いた場所は、いつかに2人して星空を仰いだ丘だった。 満天の星々は、まるで泣いているように星をこぼしていく。ひとつ、ふたつ…。幾つもの星が、その役目をおえてこちらに降ってくる。消えていくように、降ってくる。儚い世界の中に、大切な星をみつけた。 「………双子座、」 やさしくやわらかく瞬いている星を、射手座の青年は見つけてしまう。みなければ良かったと思った。腕の中の重みが余計に辛かった。今、自分がどんな感情に支配されているかも判らず、ただ呆然と星をみる。射手座が沈まなければ出逢えない星。 大空で、星が、巡っている。繰り返し繰り返し、途方もつかない年月を越えて。 … 君 を、追ってる。 誰だとは、思わなかった。全身を包む小宇宙が歓喜するかのように震えて、そして、教えてくれる。目の前に美しい女性がいた。光をまとった、女性。その女性がゆっくりと腕の中の存在に近付いて、その額に唇を寄せる。黙って見つめていた射手座の青年と、女性の眼があうと、問われた。 ( 何を、望みますか? ) 再び腕の中の彼に眼を落としながら、青年は静かにわきあがってきた「答え」を口にした。 女神が、微笑んだ。 ( 幾度生まれ変わっても、その魂に誓いましょう。来世も、『英雄』として、 ) 星が、巡る。 射手座が沈むのを、双子座は待ち。双子座がやってくるのを、射手座が待ち。巡って巡って、追い掛けて…待って、待って。 出逢える日を、探してる。 …英雄でも、聖域でも、何処でも、何でもよかったから、ただ、巡り合わせて欲しいと、願った。 射手座が沈む日を、双子座がずっと、…待っている。 「女神」とともに光の中へ消えていこうとするヒトを、もう一度強く抱きしめた。離れがたくてどうしようもない。 それでも、『見守る』と呟かれた。『ずっと傍に』と、勝手に約束してきた。勝手に裏切られて、勝手に約束されて、勝手に一人で逝って…。 『ずっと、傍に』、…ならば、────ようやく自分達はひとつになれるのだろうか。 英雄として射手座が空の彼方に消える時まで、ずっと傍に。 「俺の守りたかった世界に、君がいたよずっと」 双子座が再び空に上がる日を待ち望んで、眼を瞑った。 ずっと、ずっと、互いを待つように追い掛けるように、出逢える日を待ち望む。 一粒も涙を流せなかった青年のかわりに、星空がいくつもいくつも、泣いていた。 * 聖域から女神が失われて数百年経った頃、聖戦の最中 行方不明になっていた双子座の魂が巡り巡ってようやく聖域に帰ってきた。それから更に数週間後。 「………俺が、射手座の…、ですか?」 「そうだ。星がお前をしめした」 ある農村で、教皇シオンは射手座の魂を宿す少年を見出した。そして、数日と経たぬうちにシオンは、その子供を聖域へと連れ込んだ。半信半疑といったふうの少年を、でもシオンはそうだと確信している。秘められた小宇宙が、かつて聖戦の折り、女神と自分達とを守ったあの強大な力と酷似していた。英雄として散った、偉大な聖闘士。 「黄金聖闘士の候補生は、お前とあともう一人いる。あれもまだ来て日が浅いが、…真面目な子供だ。一人で修行するより、2人のが良いだろう。共に、より高みをめざし、身を鍛えよ。いつの日か訪れる女神と地上の平和の為に。 …今、呼んでいるから、もうすぐ来よう」 「…………星座は?」 「双子座だ」 「遅くなって申し訳ありません、シオン様────」 少年の後方の扉が重い音をたててゆっくりと開いた。射手座だと告げられた少年もまた、ゆっくりと振り返る。静かに、静かに、世界が、巡る。 それは、漠然とした感覚だったが、 もし、振り返った先にいた少年の瞳の色が、青空のような澄んだ色を宿していたら、きっと、自分は、理由も判らず、涙を一粒こぼすのだろうと、 射手座の少年はその瞬間そう感じていた。 きっと、泣くのだ。 (星空が、再び、ゆっくりと巡り始める。 出逢えるまでの、旅を、またはじめる為に。) end. (060929) |