すぐ傍で。限りなく傍で。
手をのばせば届く程傍で、なにかが泣いていた。
ずっと、ずっと、泣いていた。
声を押し殺し、今にもつぶれそうな程弱々しいさまで。
墨を流したかのように救いのない程深く暗く、光などもう思い出せない程の闇の世界で、ずっとずっと泣いていた。音も色も感情も、明日さえいらない世界で。「王」の眠りを守る世界で。
それしか知らないとばかりに、泣いていた。

「王」が眠りについたのはつい今し方で(だと「王」は感じているが実際の時など知らない無意味だった)、あの美しくも誇り高い女神の封印が解けるのはまだまだ先の世の事であったのだから今は指一本も唇すら音を紡ぐ事が億劫でたまらなかった。
だのに、無視するにはあまりにも傍にあり、そしてまた「王」の疲弊しきった感情の糸すら震わすほどそれはとても切ない痛みで満ちていた。

本来ならこの闇の支配者である、しかし今はその闇に身を任せきっている「王」がうっすらと意識を闇に傾ければすぐにその気配が何であるか判った。判ったからこそ、余計に「王」は眉根をよせる。
やがては己のうちに吸収されてしまうであろう愚かで哀れな、愛おしい人間の魂であった。
泣く事しかもうゆるされていない魂。



「王」は、誰も憎んだり恨んだりしてはいなかった。ただ時折、虚しいと感じるだけだった。悲しむという気持ちはもう遙か昔に枯れ果てた。この明日などない終わりの世界で、絶望に支配された闇に囲まれながら、地上の世界を眺めていただけだった。諦めと落胆の気持ちを抱きながら。
繰り返される女神との覇権争いはただその時代に望まれるからこそであった。天界での異端であった女神。時代が、変革を求め自分を呼び起こすから力を貸した。かすかな希望も少なからずあったが。  (人間の身に宿る事に意味などないつもりだったが)  記憶に新しい聖戦で「王」は不思議な体験をした。「王」である自分の、現世の体ではあったが、涙をこぼしたのだった。ただの人間のように。死にかけた女神の加護をうける聖闘士を見つめながら。  (人間は、)   (人間は、何という…)



希望と絶望の繰り返しを見つめ続ける「王」は、いい加減泣きやまないそのちっぽけな魂をそっと「王」の腕の中にとじこめてしまう。抱きしめてしまう。少しでも力を加えればきっと壊れて消滅してしまうのであろう魂。人間は脆弱だ。それゆえに愚かで浅はかでもあった。しかし。

「あまりそのように泣くな」

抱きしめてやりながら、そっと静かに静かにささやく。弱々しい、それでいて柔らかであたたかな魂。最期の最期まで清廉であり続けた。だからこそ、言葉にして伝えてやった。
「王」が再び長い眠りにつく、ほんの短いひとときの間に。


「…また、来世で必ず出逢える」



それが、神にはなく、人間にのみ秘められた限りない可能性だった。希望という光の。未来。




 (060901)