がたん、ごとんと、整備されていない荒れた道を今にも壊れそうな旧式のバスが進んでいく。がたんごとん。何処へ辿り着くのかアイオロスは知らなかったし、知る必要もなかった。 何も考えず眠ってしまえれば良かったのに、微睡む先の世界であの夢のような存在だったかの人が待っているようなきがして結局、眼を開け続けている事しかできない。 眼を開けて、かの人がいない世界を直視し続けなければならない。(…嗚呼、) 「ロス?おい、どうした?初めての車酔いか??」 異世界に来て出逢ったこの地球での仕事仲間である童虎が心配気な顔で手をのばしてくるから、やんわりと手をのけつつ「大丈夫だ」と応えた。 いっそ、何もかも吐き出して吐き出して、そしてこの腹の中から何もかもなくなってしまえれば良かったのに。 …そうできない事も知っている。 服の上から大事に隠してある小瓶を握り締める。とくんと、まるでそれが自分の心臓のようなきがした。透明な小瓶の中には、完璧な球体を保つ不可思議な光がとじこめられている。 これが、………もう俺の腕から喪われてしまったとばかりに思っていたかの人の…、サガの「魂」だった。 本来なら出逢うはずのなかった。魔王の息子でありながら人間との混血でありつまりは邪魔者であった俺と、今ある貴族の中でも最も歴史のある伝統的な名家の純血の…サガ。どうして、出逢ってしまったのだろう。 誰からも愛され、また誰をも愛したサガには将来を約束した相手だっていたし生まれながら魔力の高かったサガは魔王にもなれた。それに引き替え、俺は、国一番の剣の使い手という事しか自慢できるものがなにもなかった。 国の存亡と、過去から紡がれる魔族の喪われた誇りを取り戻す為、魔族に恐怖を抱く人間との大戦が熾烈を極めていた頃、ついに魔王の息子である俺にもお呼びがかかった。行けば生きて帰れる事もないだろう激戦地区へ。死んでこいと、云われた。 城を出る夜、月の光もないというのにそれでも駆け寄ってきたサガに気づいた。金糸を風になびかせて、相変わらず美しい人は他愛もない話のあと、秘やかに呟いた。 「死ぬな。生きて、此処に帰ってこい」 生きて。 魔術でもかけられたかのように、その言葉が耳から離れず、痛かった。 「次の魔王が決まりました。ジェミニのサガ…かの者の魂の転生者を、アテナは望まれました」 膝を付き、冷たい床を見つめていた俺の頭にむかって投げ落とされた言葉はあまりにも抑揚のかけた無機質な響きだった。城の最奥に住まう巫女パンドラの手にあるものをみたくはなかった。 死地から勝利をもぎ取って帰還した俺を迎えたのは喜びではなく悲しみだった。底のない悲しみだった。あまりにも唐突に、想像した事もない出来事に、感情がついてゆかないまま、ひとり神殿に呼び出された。 この国はおかしな事に、一番偉い存在が魔王ではなく存在しているかもあやしい「アテナ」という者によって支配されていた。何千年前に死した初代魔王の魂がこの国を守りそして操っていた。全てはアテナの手の中の出来事なのだそうだ。 「この者の魂を、地球に運びなさい、アイオロス。地球にて生まれる次期魔王になられる御方の体に運びなさい。それが、アテナの意志です」 「……混血の、裏切り者と罵られる俺なんかに、ですか?」 サガは死んだ。俺の居ぬ間に。見知らぬ土地で、炎に包まれながら。国を守る為に、死んだ。 「……俺は、逃げるかもしれませんよ。貴方がたの予想と期待を裏切って、その大切な魂を持ったまま姿を消すかもしれません。俺の気に入りの人間に魂を与え国の政治を俺の意志で動かす事もできる。 それでも、この俺にその魂を持たせるつもりですか…!」 何故、……何故、俺が行かなくてはならないんだ。苦しむ事は判っているのに。 まっさらな色のその魂はもうすでに過去の傷を全て癒し、記憶も何もかも喪われたそれはもうすでに大切なヒトの魂ではないという証拠だった。もう、誰にものでもない。誰でもない。サガは、もう、存在しない。 少女である巫女がうっすらと笑みをつくる。感情の伴わない笑みをみせ、パンドラは告げた。 「かの人の魂を抱きしめて、そのまま自らの命をも絶つ事ができますしね」 血の匂いがぬけきらない両手で顔を覆い隠した俺は、いっそこのまま此処で殺して欲しいと切望していた。何もかもが虚しすぎた。サガは、もう、何処にもいない。 童虎のもとにも小瓶がある。誰のかは訊かなかったが、時折その小瓶の中のものをとても愛おしげにみている事から何となく察した。互いに、永遠にもう手の届かない者に、こころを預けている。 「光源氏計画ってのもあるが、ありゃどうも性にあわん」 「ひかるげんじけいかく?」 「ロスは知らん方がいい。折角、全てをリセットしたのだから、まるっきりかわってしまった相手をみてまた新しい感触を得るのもわくわくしてこんか? 俺はそれが今とても楽しみだ」 地球の文化を未だ理解しきってない俺が眉根を寄せると、かかかと快活に相手が笑う。大切な大切な小瓶は、胸ポケットの奥に大事にしまって。 バスがまた大きく揺れるから、とっさに小瓶を抱えてしまった。 「出逢いは別れの始まりだが、別れもまた出逢いの始まりだ。新たな出逢いは、きっとまた新しいかけがえのない喜びを生む。だから、恐れるな。振り返るな。そして、忘れるな」 忘れられるわけなかった。忘れようにも網膜に焦げ付いたかのように離れられない。離れがたい。あんなに美しいものを知らなかった。清廉な魂を、知らなかった。全身全霊で、愛していた。 これから先、それ以上に魅せられるものを自分は得られるだろうか。 「何にしろ、」 俯いてしまった俺の頭をなでなでとする男の手を振り払ってしまいたかったが、何故だか心地よかったのでやめた。 何もかも荒みきって、何もかも信じられずにいた。 今すぐ叩き割ってしまえればもっと自由になれるような気がするのに、それでもこの手が離そうとしなかった。 童虎は静かに、静かに、疲れ切った俺に語りかけた。 「その完璧な球体を大切にしてやらねばならんよ。なんせ、何1つ欠けたとこのない、まんまるで完璧な魂は滅多にないのだから。……悔いなく生を終えた証だ」 「……俺も、そうなれるだろうか」 「ならば、進め」 かつてのサガを、もう一度強く抱きしめた。 神殿の巫女が最後にそっと呟いた。 「貴方にこの魂を預ける事を望んだのは、他ならぬ、ジェミニのサガです」 それが、最期の願い。悔いなく死んだというサガの。 眼を瞑れば今でも鮮やかにかの人の存在が思い起こせる。輝かしい、過去。 もう流すものもないと思った俺の片目から、最後の一滴がこぼれておちていった。 (060823) |