きれぎれに見えるきみの断片がぼくらを泣かせている
(※13年前パラレル)


ミロの顔をみかけたので思わず声をかけようとしたが、…やめた。どう説明すれば良いのか判らなかったからだ。さてどうしたものかと考えを巡らせた時、肩をぽんと叩かれる。憮然とした顔のデスマスクだった。

「どうだ、見つかったか?」
「…いや、心あたりは全てみたが」
「アフロディーテが、異次元の迷宮つかったんじゃないかって」
「お前の力じゃ追えないのか?」

空間系に近い技を持っている男は、はんと鼻をならした。かわりに、そういえば、と違う処をみながらつまらなそうに呟く。

「こういう時はいつだって『奴』が連れ帰ってきたよな」

名前を呼ばないのは、それがすでにこの聖域では禁忌の名となってしまったからだ。呼ばれる事を禁じられた名。(一人だけのものにしてしまったのだ)

「…あと、更にアフロディーテから伝言」
「何だ」
「あのチビも、どっか消えちまっただってさ」

肩をすくめたデスマスクはもうとうに、全部を諦めてしまったに違いない。



何処からその子供がこの檻(聖域)の中にやってきたのか、誰にも判らなかった。誰にも知られず、この聖域の、更に最奥である教皇の間に辿り着くわけなどないのに。
それでもその子供は不意に、3人の前に現れた。教皇という仮面をつけた一人の人物を守ろうと、そう誓い合ってすぐの3人のもとへ。
3人もまだ幼さのぬけない顔をしていたが、その3人よりも更に小さな子供は、自らの名を告げて、笑った。アイオロスと、そう名乗った。



「それ以上進んだら帰ってこられなくなる」

耳に心地よく響く声音に、子供は足をとめた。目の前は壁だか坂だか穴だか判らない、そんなぐにゃぐにゃしたところだった。それでも進もうと思ったのは、「彼」に逢いたかったからだ。それだけだ。

「…子供が1人でこんな処にいるのはよくないな。ああ、ほら怪我してる」

指摘されてようやく右腕に大きな切り傷ができている事に気付く。異次元の隙間に無理矢理分け入ったのだ。これくらいの代償ですむ方が奇跡だと、脳の片隅からそんな声がきこえたきがする。一方では、だらりと垂れる血をみて、段々と痛みを感じ始めた。そんな子供の腕を、長い指先がとらえて包み込んだ。
声の主が跪き、傷口を軽く撫でると、傷はたちまち塞がってしまう。更に撫でると、血も清められ、痛みがひいた。痛みが消えると同時に、気持ちが緩んだのか、子供のお腹がぐうと情けない自己主張をする。

「……今度は、私に食べ物をだせとでもいうのか? …前にも君みたいな不思議な奴がいたよ。わざわざ追ってきたかと思えば、無茶ばっかして……最後は私が面倒みる羽目になる」

つぶやきながら立ち上がったその人の法衣の先を子供がむんずと掴んだ。口をへの字にした子供を見下ろした金糸の青年は「安心しろ。置いていかないよ。誰かと違って」と紡いだが、子供は首を横にぶんぶんとふるだけだった。

「たすけにきた!」

唐突な、言葉でしかなかった。だから、蒼い目も丸くなって、次の言葉が紡げなくなる。翡翠色の瞳をした子供は、やけに強い眼差しで、強い声で、告げた。

「俺は君を助ける為に、過去からやってきたんだ!」

(助けたのは、私の方じゃないか)

そう紡ごうとしたはずなのに、サガが呟いたのは、自らが禁忌とした人の名前だった。
何か様々な感情と綯い交ぜになって、その名は、サガから溢れこぼれて、異次元の彼方に沈んでいった。
殺した男の名を呟かれても、子供は動じなかった。



(080502)


***


たとえば、と。
けっしてそうなる事などないと知りながら、願う。切に。




「生まれ落ちた瞬間から呪われた子供がいたそうだ」

書類を捲りながら、ふとサガがそう呟いた。

集中力がきれかけていた俺は顔の横でくるりと羽根ペンをまわしながら、ああと思い出して声をもらす。

「昨夜、リアに読んでた童話だね」

タイトルは…そう、眠り姫。

「たった1人を生かすために、城中の人間が100年の眠りに落ちる。ぞっとしないか?」
「何故?100年後、王子様が助けにきてくれるのだろう」
「100年間、時が止まり続けるんだ。何もかも巻き込んで。 今から100年後の世界なんて昔とからきし変わっているだろう。私がその立場だったら…そのまま死なせてくれたほうがましだと思うよ」

ああ、今度は浦島太郎の話だねと笑い、書類の束を机の隅に放った。
終わらなければ、外にも出られない。重苦しい空気だけがたまってたまって押し潰されそうだ。
書類ぜんぶを紙ヒコーキにかえてしまえば、一体どんな未来が待つというのだろう。

…眠り姫がもし呪いのまま死んでしまえば。

「100年後の世界に、大切な人達はもういない。ならば、100年の孤独は何だったんだろう」

視線を書類に落としたまま、でも一向に数のへらない彼の手の中のそれ。

「…100年前に、お姫様を助けてくれる王子様がいればよかったのにね」

呟かれたその言葉に、サガが小さく笑った。少しだけ悲しそうに。
100年前の世界に王子様がいない事を彼は知っている。
俺も、だから、王子様には永遠になれない事だけを知っていた。

「本当は誰にも祝福されるべきじゃなかったんだ、その子供は」
「…俺はね、……祝福のひとつになりたい。その眠り姫が生まれた事をよろこんで、みんなが手をたたく…拍手の音でいい。それでいい。俺は、そうなりたいよ」

招かれざる魔女でも、その魔女の呪いに希望を与えた最後の魔法使いでも、目覚めのキスを与える王子でもなくて、そうじゃなくて、もっと、
…そういうものになりたかったのだと今になって思った。

遠い未来、たとえばそう100年後の世界で、お姫様が心から笑える日が来る事ができるのならば。その日の為に、祝福したい。
重苦しい空気から顔をあげる事もできないまま告げた言葉に、今更なにも意味はないのだと知っていたけれど。
祝福のひとつにすら、今の自分はなれなかったのだから。

再び、彼がすらすらと書類にサインをしていく音が、空気のこもった室内に響きはじめた。話はそれきりだった。


祝福のひとつに (060424)



***


「近づくな!!」

再び厚い本が、こちらに(ものすごい速度で)投じられた。俺は片手でそれを防ぎながら、思わず彼の名を呼ぶ。その名を紡ぐのが当然かのように己の口から簡単にこぼれた。
なのにこの場に投じられたその名は彼の表情をより歪ませ、空気は波紋のように震えた。
判らず、再度紡ごうとすれば、それをさっしたサガが棚から乱暴に本を掴みとり、矢張り、投げつけてきた。

「ってて。おい、貴重な本を大事にしろといってたのはお前じゃないか!」

サガは自他共に認める読書家だ。読書家なら本を大事にするだろう。表向き、サガもそうだ。ただ、だからといって、それを徹頭徹尾大事にするわけじゃない。サガは生来、がさつだ。さびて戸が開かないとなれば、足で蹴破るし、俺が莫迦な事をすればフライパンで殴る。そういう男だ。
そう、だから今、蔵書室に逃げ込んだサガは手近なものを俺に投げつけてくる。
それで本当に黄金聖闘士である俺を遠ざける事に成功できるなどと到底思ってないくせに。用がある俺が、今ここでサガの要求通りすごすご引き下がるわけないのだと、判っているはずなのに、素直に現実を承諾しないサガのこういう思考と行動の在り方は、常に俺にとっての疑問だ。

優れた才を持ちながら、愚かな行動をする、
この容易に直結できない部分を、デスマスクが「人間くさい」と以前称していた。
神のような男といわれた、人が、だ。

「なあ、落ち着けって。話し合えば判る」
「お前とはもう話しあう事などない」
「判らないよ。人は気分で是非を変える」
「は。それはお前だけだ。だからお前は、重要な選択すら、簡単に決めてしまう」

本の山の中からそう告げるサガは、手を休ませる事なく次々と投げ続ける。後片づけの事など考えてはいないのだ。でも、いつかし本だとて、つきる。
世界が有限の存在であるが故、その終わりはいつだって訪れる。
手近な本がなくなり、サガが一瞬ひるんだので(それはほんとうに瞬き程度のそれだったが)、俺はすかさず足を一歩大きく踏み出して、サガの片手をとらえた。

「…それで?」

捕らえたサガは、あまりにも大人しかった。蒼い目から強さは消え、ただ遠くを眺めている。こちらをみない。

「私を懐柔して、お前は一体何を得るんだ?」

俺が話をする。サガがそれをきく。
だからといって、イコールサガがそれを承諾する、にはならないだろうに、サガはつまりそういう事をいったのだと、さっした。サガはこういう言い方が好きなのだ。

「俺はサガにただ、俺の話をきいて欲しいんだ」
「…きいてもきかなくても、答えはみえている。私はどうあっても最終的にお前の言葉に従うだろう。お前は私の答えなどきかずに、行動するだろう」

それはなんて、ひどい話だ。
自身が関与している話なのだが、そう思った。

「好きだ。愛している」

甘い響きなどひとかけらもなく、蒼い瞳がようやく俺の瞳を見返した。
唐突な愛の言葉が、しかしこの場の空気をかえる事などなかった。俺は面食らっていただけだった。

「…私がいいたかったのはこれだけだ。お前が残した世界で、生きた私の結論だ。お前をもっと素直に愛せたら、どれほど世界は美しかったのだろう」
「……それでも、世界は美しいよ」
「知ってる」

可笑しいとばかりに、サガは微笑んだ。鮮やかな微笑。眼差しだけがやけに艶めかしく、憂いをひめていた。

「お前が死んだ夜。ずっと空をみていた。空が紫色につつまれ、朝陽をうける瞬間の、その儚い美しさを、私は今でも忘れていない。お前がいない世界で他にも私は様々なものをみてきたよ」

今おもえば、お前が私にくれたものはそれだけだったね。

「………俺は、サガにいろいろなものをもらったよ。様々な感情を知った。君がいなければ、知らなかった事だ」
「知って、そして去るのだろう?」

何も言い返さない俺に、サガはやはり優しく微笑んだ。
あの頃、よく俺にみせてくれたサガの笑みだった。

「お前の話というのは、これで終わりだろう? もう、放してくれないか」


賢いはずなのに、愚かな行為を繰り返す。
それを人間だというのならば、俺はどうなのだろう。
ぐちゃぐちゃな感情であふれかえる君を全て飲み込んでしまえれば、君を判る日もくるかもしれないと思った時もあった。あっただけだ。
どうしてなのか、根本的な部分は判らない。ただ、俺という人間がこうだっただけだ。

俺の手からはなれたサガは、薄暗い蔵書室から、外の明るい廊下へとでていった。その手を意地でも離さないでいれば、また何かかわった未来が紡げたのかもしれない。
俺はそうしなかった。ただ、失われたぬくもりを思い出すように自身の掌をみつめた。
感情が、すべてをこえたその日、俺は世界の美しさをしるのだろう。


下ろすべき幕はもうない(080801)



***